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真造圭伍「ひらやすみ」がとにかく素晴らしい

真造圭伍という漫画家が書いている「ひらやすみ」という作品をご存知だろうか。週刊スピリッツで連載されており、今はまだ2巻までしか出ていないのだが、これは既に傑作認定していいであろう作品だ。漫画家界の石黒正数や田島列島なども賛辞を送っている作品で、今注目すべきに値するものに間違いない。

主人公である生田ヒロトは東京・阿佐ヶ谷に住む29歳のフリーター。山形県出身で俳優をしていたものの、今はフリーターとして平家の一軒家に住んでいる。そこにいとこの小林なつみが大学上京に伴い住み込むことになるところから話は始まる。

まず生田ヒロトの設定が秀逸だ。29歳でフリーター。モラトリアムが延びてフリーターをしているにしては年齢をくっているし、かといって定職を見つけていわゆる”普通の生活”を取り戻すにはまだギリギリ間に合う”若者”と呼ばれるであろう年齢。この生田ヒロトは世で度々「常識」と呼ばれるプレッシャーを全く気にしていない。同い年の友人が結婚し子どもができても焦ったりしない。「自分は自分」といったように言い聞かせているそぶりもなく、ごく自然に自分自身の状況を風まかせに運ばせている。

30歳近くにもなれば色々なことに不安やプレッシャーを感じてくる年齢だと思う。この仕事を続けていていいのだろうかとか、シンプルにお金のこととか、結婚についてとか。自分が本格的に”大人”になっていくことを実感していく年齢が29〜30あたりではないだろうか。そしてそういった類のプレッシャーを生田ヒロトは一切感じないし、それに悲観する様子もない。生田ヒロトはきっと、どついたるねんが「生きてれば」で歌うところの「食って寝てれば問題なんて無いじゃーのん無いじゃーのん無いじゃーのん♫」を地で行くキャラクターなのだ。その姿勢が日々削られているような生活をしている身からすると、とても新鮮に思えて仕方ない。


また生田ヒロトと好対照なキャラクターとして仕事に追われている立花よもぎという人物も出てくる。こちらは読み手が最も投影しやすい人物像だ。というより、彼女自身が「ひらやすみ」の読み手と言ってもいい。彼女の唯一の安らぎは仕事終わりにベランダで夜風に吹かれながらお酒を嗜むこと。そんなときにも電話が鳴れば仕事の電話なのではないかとイライラしたりする。

そしてこの漫画では、その場面場面で主役となっている人物の周りの人物にもしっかりカメラが向けられている。目線を多岐にわたらせることに成功していて、ひとつの事象に対する感情の在り方が多様であることを示してみせる。

何よりこの作品はあくまでもユーモアに包まれた作品という点が最高だ。その中に旧態依然とした価値観をさらりと否定してみせる風情がある。人生に悩んでいる人の必読書だなんて言うつもりは毛頭ないし、そんな自己啓発的な文脈は作中にも一切ない。ただ本来抱えるようなことではないものを勝手に抱え込んで、自ら悩みの渦中に入っていってしまうような環境にいる人には刺さるものがあるだろう。ただ生きることの輝きが瑞々しく紡がれている。俗に言う”ほのぼの系”とは全く違うのんびりとした雰囲気の中に確かな批評性がある。


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