爆音ショパン

ひょっとするもう知っているかもしれないんですけど、完全におしまいになった。

小学二年生のとき6×7の答えが言えなくて泣いたことなどを思い出し、そのときとまったく同じ気持ちになっている。緊張して全部忘れたので、家で覚えてきた時間などは全部無駄になった。せっかく覚えたのに!
悔しい!悔しい!!!悔しいのに努力もできないから死ぬ以外の解決法がなくて口を引き結んで黙っている!!



話が変わるが、最近はずっと車の中でかける音楽をショパンにしている。ちょっと煩いくらいまで音量を上げる。クラシックを爆音で聴くことは客観的に見て面白いと思うからだ。面白くないですか?

あんまり楽器が多すぎると疲れてしまうので、ピアノだけの曲がいい。

ピアノの打楽器らしさが好きだ。
音量を大きくするとわかるが、普通に聴いているだけではわからない、鍵を打つ音が聴こえる。打音が音階を持つのは官能的だ。あまり忙しい曲ではなく、自分のため、そこにいない誰かのための静かな曲がよい。打楽器であるということを考えながら静かに聴きたいから。

できるならピアノの中に入って、開けたところに少しお邪魔して、三角座りをしてお茶を飲んでみたい。勿論小さくなって。演奏の邪魔にはならないように努めるけど、駄目かな。

あとショパンのつんっと澄ました感じが好きだ。専門的な知識はないからなんというかは知らないが。


おしまいだし悔しさについてでも書くか。
負の感情が外に向かないので、内側に向くことがほとんどだ。でも唯一外側で認識しているのは嫉妬で、一度思い当たるとなんでもかんでも嫉妬している。

昔友人に着いていって、宗教の教会に通っていたことがある。しっかりと取り組んでいたわけではなかったし、教義は曖昧なのだが、その中に「嫉妬は罪」というのがあった。
例えば何か他人の持っているものを羨ましがるとそれを奪ったのと同じだとされていた。
やりすぎではないかと思っていたし、実際同じではない。でもその教義は個人の精神の健康に必要なんだろうなと今では思う。羨むと、現実がくっきりしてしまうのだ。ただそれだけで誰も救ってはくれなくて鬱屈していく。だから罪になると言ってしまったほうが、何もしないままで、彼らを実質救っていることになる。

私にとってはすでに罪ではないので全然たくさんのものを羨んでいます。昔は他の人間を羨んでいたが、今一番羨んでいるのは、自分が生み出した“できる自分”という空想上の存在で、何かに壁を感じるたびにそこに辿り着けないことが悔しくてたまらなくなる。

ああ〜なんか成し遂げてその上で自分をめちゃくちゃ褒めてえ〜〜

書いていたら具合が悪くなってきたのでもうやめます!

爆音でショパンを聴け!