誰が彼らを殺すのか

前に、TRPGが苦手だという記事を書いた。

しかしそんな記事を書いた自分でも、有難いことに何度かTRPGをやらせてもらえる機会に恵まれたり、周りの卓報告を耳にしたりすることが増えた。

その中でもう少しだけ思うことがあったので、自分の中の気持ちを整理するためにも文章にしてみようと思う。
その記事同様、人を選ぶ記事になるであろうことは間違いないのでそこは留意いただきたい。

まず自分がPCを作る時の話をしなければならない。

自分のPCは大きく2種類に大別される。
自分では便宜上、「先祖」「第○世代」と呼び分けている。

それぞれ、
先祖は自己分析で抽出した要素を比較的ダイレクトに流し込んで出来上がったキャラクター。
第○世代は、先祖から名前や要素を継ぎ接ぎしつつ比較的普遍的な属性で希釈して出来上がったキャラクターだ。
基本的に自分は、自分の中から要素を引っ張り出してこないと、操縦できるようなキャラクターは作れない。これは割と創作している人あるあるなのかもしれないが。どうなんだろう。

まあそれはさておき、前者についてもうちょっとだけ掘り下げると、先祖に当たるキャラクターにもどれだけ根深い要素を抽出しているかによって自分から近い、遠いがかなり分かれる。
当然、近ければ近いほど彼/彼女に潜りやすい。

基本的にはこんな感じ。

そんでまぁ本題だが、現状の自分は幸か不幸か未だ「ロスト」という概念を体験したことがない。
そしてその概念を先祖に当たるキャラクターで体験することが、非常に恐ろしいのだ。
思えば、小説でも主要人物が死ぬような物語を殆ど書いたことがなかった。
家族のように思う彼らを失う恐怖が、あまりにも生々しかったから。

とはいえ小説であるならばある程度なんとかなるだろう。必ずしも自分が動かす必要はなく、キャラクターが動きさえすればいいのだから、必ずしも先祖やら第○世代やらみたいなキャラクターの作り方をする必要はない。(それを差し引いても自分が生み出したことで一定の思い入れはあるので、あまり死を書きたくはないが)

だがTRPGは、自らが動かさないと、正確に言うと自らが「動かす、止める」の制御ができるキャラクターしか使えない。なぜならTRPGは人と遊ぶものだから。

しかし自分で動かせるほど潜れるキャラクターが死んでしまった時、自分は一体どうなってしまうのだろうか。
誤解して欲しくないのは、仮にそうなったとしてGMや同卓者が悪いなんて言う気は絶対にない。きっと、悪いのは自分と彼らだ。自分たちの選択で、自分たちのミスで、死に直面するのだ。

けれどそれを念頭に置いたとして、自分の中にあったピースが壊れて二度と戻らないとなった時、自分は耐えられるだろうか。
今でも自分に近い先祖PCをやっている時は痛みがダイレクトに伝わってくるというのに。

何方のポケモン二次創作漫画だったか、「ペットをバトルに出しちゃダメだよ」というセリフを見たことがある。そのまま適用するのは些か倫理的に問題があるかもしれないが、ロジックとしては何も変わらない。
彼らが傷つくのに伴って自分が傷つく覚悟もないのに遊びだけは享受したいとか、舐めた話である。そう考えると本当にTRPGは向いていないのかもしれない。

あとは単純にこう……彼らの物語が澱みなく進行されるためにPL側のコミュニケーションがあると思ってるんだけど自分はそこも上手くないのでね……そこで苦しむことも正直ある。

ま、要はこんな根暗人間は本来自創作に引きこもってろって話で……もちろん誘われたら最善は尽くして楽しめるようにするんだけど……
みたいな。

そんな感じで、今後も積極的にTRPGをすることはないのだろう。ただ、誘われて悪い気はしないので機会があればやるんじゃないかなってくらい。

あんまり長いことネガティブな話をしても仕方ないのでこんな感じで。

拜拜。

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