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夢をみるためには走るしかないんだよ

7月からジョギングを続けている。

腹のあたりにプニプニした浮き輪状の何かが出来始めており、これを解消するには運動がいい!という野生の勘が働いた結果。ジョギングという候補が浮上して即採用。

すぐに古着屋に行って3000円払い、ジョギング用の靴とハーフパンツを購入。その日の夜からスタートした。

久しぶりのジョギングだった。毎年夏から冬の寒さが辛くなる前までジョギングの習慣があったりなかったりで、寒さがキツくなると心が折れてコタツでみかんを食べているうちに習慣が吹っ飛んでしまうというゆるいサイクルが形成されている。

走る時のマイルールが1つだけあって、それは「決して歩かないこと」である。

歩く速さで走ってもいいからとにかくゴールするまでは歩かない。

これを決めたのは小学校の時のマラソン大会の練習をしている時だった。

わたくし、根性なしの権化のため長距離は苦手でござんした。ちょっと走ると疲れてしまい、「何が楽しくて息を切らして走らなきゃならんのだ!」と誰にぶつけたらいいのかわからない怒りを覚えた途端、走る気力を失い、歩く。

でもまぁ、どんなに怒ってもイライラしても走り切るまでマラソンは終わらない。歩くと終わるまでに時間がかかるし、歩いて登る坂道は4倍くらい辛い。

どうせ辛いのならば早く終わらせた方がいい、と思ったところから今まで「決して歩かない」ルールが適用されている。

ゴールするためには進むしかない。右足を前に出して、左足を前に出して地面を蹴る、蹴る、蹴る。蹴り続けていればいずれゴールする。どんなに長い距離でもこれを継続していればクリアできる。

これって自分の理想とか夢を掴む時にも必要な考えだと思う。

20代の半ばの1年ちょっとの間フリーランスでデザインをやっていたんだけど、途中で諦めてしまった。色んな要因があって走ることをやめてしまったのだ。

それからずっと会社員をしながら生きているけど、思い返してみてめっちゃ楽しかったのはフリーランスの時期だった。めっちゃ辛かったのもその時期。

楽しさよりも、辛さとか不安が勝ってしまい結果やめてしまったんだけど。今から考えると、あの時、ゆっくりでもいいから走るのを続けていたらよかったのにって思うのだ。

辛くても、ゆっくりでいいから、歩くより遅くてもいいから走り続けていたら、きっとみえる世界は違っていたと思う。

理想と夢。とても甘くて魅力的な言葉。でもその果実を手に入れるには、甘くない現実を必死こいて走るしかない、ということがわからなかった。

なのでその弔い合戦を始めるために、デザイン系ソフトのリハビリを始めている。

今度はどんなに辛くても走り続けることを、スポーツマンシップに則り、ここに宣誓いたします!

夢をみるためには走るしかないんだよ。

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