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揺れているか

人生には何度か試練があってその度に人はグラグラと揺れながら。悩みながらそれを乗り越える。

自分の本心から逃げない。悩みから逃げない。「常識」とか「世間的には」みたいな外側の価値観と競り合って、かろうじてでも逃げずに踏ん張っている。その時、人は「揺れる」のだ。

もしも今「揺れている」のならばそれは立ち止まって考えたり書くことで切り抜けるべきタイミングで、自分の内面を深く理解して進化できるチャンスなのだと思う。


初めて「揺れてる」と感じたのは高二の時だ。

夏休み明け。ベルギーからの男子留学生Aがクラスの仲間に加わった。俺はあまり接点がなく深くは知らないが「人当たりが良くいい人」という印象を持った。日本語も普通に話せてコミュニケーションに不便していなそうだった。そんなAが途中からイジメにあうようになった。

うちのクラスは調子に乗っているガキ(汚い言葉失礼)が多かった。苦手な奴が多かったから表面上の付き合い以外ではその中の2人としか仲良くなかった。

1人1人だと普通(もしくはいい奴)なんだけど群れると急に暴走する。気がもの凄いジャンプ率でデカくなる。ノミが木星の大きさになるくらいのレベル。で、その勢いのまま田舎の学校には珍しい「留学生くん」をからかうのだ。

初めは裏で「あいつの(ベルギーにいる)彼女、豚みたいだなww」とか「体臭きついわww」と言っているくらいだったのがエスカレートして突き飛ばしたり、裏で言っていたことを本人にぶつけるようになった。

俺はそれを注意できなかった。注意できなかった。

目の前で苦しんでいる彼に何もしてあげることができなかった。自分の根っこの部分からは「助けてやれ!」と聞こえてくる。でも、それができない。

苦しんでいる彼がいる一方、俺はいつもと変わらずに。さっきまでイジメていた連中の輪に入り愛想笑いしながら薄い話をしている。ふざけんな。自分の根っこの部分からは「助けてやれ!」と聞こえてくる。

そこで俺は今までで一番大きく「揺れた」。

それで何したかっていうとクラスから孤立した。群れから「一抜けた!」をしたのだ。(Aはその年の秋に平和なクラスに移った。個人的に凄くホッとした。)

愛想笑いでしたくない話をする。イジメを無視する自分。そのどちらにもうんざりしていた。そこから「俺の価値観って?俺はどうしたい?」と考えるようになった。少しずつコミュニケーションをとる回数を減らし、ついにほぼ0になった。鎖国!鎖国です!

クラスでの孤立は学生生活の半分が死ぬことを意味する。クラス行事の時はただの地獄だったし修学旅行なんてただの超地獄だった。高三も同じクラスだったから思い出すと灰色の記憶だったりする。
苦しかった。でも、俺がそこでとった選択は随分極端だが間違っていないと今でも思う。

初めて1人になった。1人になってでも自分がどう考えているのかを丁寧に掘り出して表現しようと努力した。この経験が本当にその後の人生の役にたっている。

自分の頭で考えて行動する(周りに流されない)。間違っていると思ったらしない。無理して付き合わなくても残るのが本当の友達。
他にも色々と学び取ることができた。

それに気付いた時にググッと精神的に強くなった感覚があった。
一気に24くらいレベルが上がってそこそこ強い魔法を覚えたような。
あぁ、揺れた甲斐があったなぁ。


そして今、久しぶりに揺れている。

30歳を目前に改めてこれからどう生きていくのか?何が自分の幸せなのか?と自分の核に関わることを問い直したのがキッカケだ。

揺れが大きいほど自分の弱い部分やプリミティブな部分が丸出しになる。それと対峙するのって結構なスタミナが必要だ。絶賛ポロリ状態のそれらと向き合って激しくスタミナを消費しているから3日前くらいから元気がお留守なのだ。。。

まだ言語化できるような答えは出ていない。でもこれは1つ前に書いたあまり読まれていない記事で紹介した、紙とペンを使って書きながら考えていく事で深い部分と繋がるキッカケがつかめると信じている。

もしも今「揺れている」と感じる場合。それは自分の内面を深く理解して進化できるチャンスだ。

「文章を書く、ということは、考えていく、ということ」。

考えた先にはきっと、人生を一層輝かせる何かが待っている。

あなたは「揺れて」いますか?


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