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【大分カイコウCase】 自然なままの「私」を売るアーティスト<かおなしまちす>

<大分カイコウとは>

大分にゆかりのあるビジネスパーソンや、これから大分に関係を築きたい人が集い、緩やかでかつ有意義なコミュニティ形成をすることを期待して始まった取り組み、それが『大分カイコウ』である。
大分カイコウCaseではビジネスパーソンだけではなく、アーティストなど芸術の分野において経済活動を行う人も取材していく。

<次世代期待のアーティスト「かおなしまちす」>

大分では、指原莉乃(アイドル)、諫山創(漫画家)、森七菜(女優)など、近年の芸能・芸術の世界で活躍する人物が次々に生まれている。そんな中、次世代のアーティストとして大分カイコウが注目したいのが「かおなしまちす」という大分県別府市で今注目を集めている画家である。

かおなしまちすは現在大分県別府市で活動をし、壁画や絵画に絵を描く画家でありながら、自らの体をキャンバスにみたてて絵を描くボディペイントやダンスのパフォーマンスもしている。最近行われた個展では顔を白塗りにし髭を描き、レオタードを着て絵を描くライブパフォーマンスをしていた。
一見、ふざけたピエロのような格好に驚かされるが、その絵を見ると一つひとつに魂が込められており、印象が一瞬で変わっていく。

独自の表現方法で周りを魅了する「かおなしまちす」の今までとこれからについて迫っていく。

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<地元津久見を飛び出し別府の地へ>

かおなしまちすは津久見市という大分県南部の海沿いにある小さな町で生まれ育った。幼少の頃から毎日のようにお絵かきをしており、将来画家になれたらとの思いがあった。
しかし、母親が美容室を営んでおり、小さい頃からお金を稼ぐ大変さを見ていたかおなしまちすは、「画家になるだけでは食べて行けないだろう」と思い込んでいた。そして、夢は夢のままで、津久見市内で就職をすることになる。
その後、母親の美容室を継ぐため、一度他の美容室で修行することを決意し、タイミングよく友人から声をかけられ別府の美容室で働くこととなる。

この津久見から別府へ出た決心が、夢に向かうきっかけとなる。

<美容師のフリーペーパーが画家へのきっかけに>

友達の紹介で入った美容室で働き始め、美容師のアシスタントとして別府の生活に溶け込んでいった。
そして、絵を描くことが得意ということが周りに知られると、美容室のフリーペーパーのイラストをお願いされるようになっていった。

美容室に来たお客さんから「この絵素敵ね。画家になったらどう?」と声をかけられることもあった。
美容室のイラストを描き続けていると、今度は大分市のデザイナーから「ハサミ持ってないで筆もったら?」と言われ、「世に出ていない大分在住のアーティスト」を集めたフリーペーパーにも載せてもらうようになっていった。

自分のイラストを見た人が「素敵」「上手」と声をかけててくれることで、自分の絵に自信がつき、個人でポストカードを描き始めるようになっていった。

そして「絵を描いてほしい」と依頼が舞い込むようになり、本格的に画家への道に進み出していった。

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<別府を拠点にし、画家としての活動を始める>

別府はアート活動が盛んであり、1000件以上ものアートプロジェクトを手掛けてきた山出 淳也氏や、全国のアーティストが集うアトリエ付きのアパート『清島アパート』などがある。
アーティストに対して理解のある街別府だからこそ、「別府なら画家になれるのではないか。」そう思い、本格的に画家としての活動を始めていった。
案の定、周りからはやりたいと考えていることに対して、「やりよ!やりよ!」と煽ってくる人が多く、その言葉が励みになり自信にもなった。
徐々に協力者や応援者が増え、イベントへの出演依頼や個展の開催頻度も多くなっていく。別府の街が「かおなしまちす」を作り出していった。

また、「人の絵を見ると影響うけちゃうので、あえて勉強していないです。」と言い、芸術関連の学校には行っておらず、ただひたすらありのままの自分を表現出来るように意識し続けてきたことも、現在のかおなしまちすを形成する大きな要因となっている。

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<別府から全国・世界へ>

今後は別府の他に、大阪にも拠点を置いて活動の幅を広げたいと考えているという。その中でなぜ別府にこだわるのか理由を尋ねると、

「あなたの絵は別府では活かせないから東京に出たほうがいいよと言われた時に、別府だから出来ないと言われている気がした。」

と言われたことがあり、そこに対する反骨精神が大きく影響している。

理解し、応援してくれる別府の人のそばで、「別府から日本を、そして世界を相手にチャレンジしていく」ことで「東京に出た方がいい」と言った人を見返してやりたい、という想いがあり、それゆえ別府拠点にこだわっているのだ。

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<女性で産まれたことに違和感があった事から産まれたボディペイント>

画家として壁や紙に絵を書いているだけでなく、自分の顔にも絵を描きカメレオンのように変身してくかおなしまちす。
時には顔をおかめのように白塗りし、全身タイツを着て奇妙に踊るパフォーマンスをしている。
初めて見た時「すごいパフォーマーが別府にいる」と思い、恐怖とわくわくの感情を同時に持ったことを覚えている。

「思いついちゃったんだからしょうがないよね。面白いことはすべてやろうと思った。」

と言うかおなしまちす。このボディペイントなどのパフォーマンスには深い想いがあった。

初めてボディペイントをしたのはとあるイベントでのことで、開催される日がたまたま28歳の誕生日であった。そして、この「28歳」という年齢はかおなしまちすの父親が事故で亡くなられてしまったときの年齢でもあった。
「自分は父親よりも年上になったのか。」

と感じると同時に、生まれたままの姿で何か表現をしたいと考え、生まれたのがボディペイントだった。
そもそも昔から女性として生まれてきたことに窮屈さというか、違和感のようなものを感じ続けており、それを開放する表現方法こそがボディペイントであった。

<私はわたしでいいのだ。>

かおなしまちすは今日も何にも囚われることなく、ありのままの自分を表現し続けている。
世間では、自分を出すことに対して抵抗がある人をよく見かける。みんながしているから私もする。みんなと同じにしないといけない。評論家が悪いと言っているから悪い。という場面を目にすることも多い。

「よくわかんないけど惹かれる、よくわからないけどいいよね、というように、評価とかではなく自然な感想がほしい。何かに縛られずに、私のパフォーマンスを見てもらい ”私はわたしでいいんだ” と思ってもらえる野に咲く草花のような存在でありたい。」

かおなしまちすは「こうしなければならない」と縛られずに、私はわたしのままを自由に表現していきたいと言う。

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<まずはやってみる・知ってもらう>

かおなしまちすは、2019年12月に行われた大分県庁主催大分カイコウCampのディスカッションに課題提供者として参加していた。
その課題とは「海外展開するにはどのようにすればよいのか」だ。
大分カイコウCampにゲストとして登壇しており、かおなしまちすへアドバイスをされた方の一人が国東時間の松岡勇樹氏だ。松岡氏は大分県の国東を拠点に、段ボールで作られたマネキンをはじめとした唯一無二の製品で世界を相手に挑戦し続けてきた方である。
松岡氏からは、

「まずは儲けにいくのではなく、知ってもらうという切り口で海外へ行ってパフォーマンスをして体感する。」

というアドバイスを受けた。
そして、それまではマネタイズやマーケティングについても考える必要があると思っていたが、その前にとにかく行ってみることが大切だ、ということを再認識した。

「とにかく行ってみる」ということを次の目標としながら、現状は別府で受けている仕事の依頼、個展の準備、メディアへの露出などを一つひとつ丁寧に対応し、地道に地元の信頼を得ていくことをおろそかにしないかおなしまちすのやり方が、次世代のアーティストの模範になるようにも思う。

自然体の自分のままを表現し続ける「かおなしまちす」を引き続き応援していきたい。

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