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そろそろ『開眼』について話をしたい。

【※2022/07/25追記】
CDとライブ音源で曲の『圧』がかなり違う為、どっちも見て欲しいな~と思っていたら、ライブ版も公式で見れるようになっていましたので追記しました。一番最後に動画を載せています。


1.前書き

この記事はヒプノシスマイクという作品内でBad Ass Temple(以下BAT)というチームを推す人間による『開眼』という楽曲に対する一人語りです。

2022/07/22で『開眼』の発売日から500日だそうです。嘘やろ。
そろそろ当時の「歌詞が刺さり過ぎて心が死ぬ」という気持ちを思い出しつつ、自分なりの歌詞の嚙み砕きをしようかと思った次第です。

ちなみにデビュー曲『Bad Ass Temple Funky Sounds』の発売日は2019年11月27日。7/23で969日。嘘やろ。まァ約1000日間、各々歩み続けた彼らに思いを馳せるのも一興ということで。

※注意※
・これを書いている人は、仏教にもヴィジュアル系にも法律にも詳しくないので、解釈が破綻していることも多々あると思います。細けぇことはいいンだよ。
・楽曲、漫画、ドラマパートのネタバレを普通にします。


最早今更感もありますが、この記事は歌詞をほぼ全て引用します。
歌詞の引用については、文化庁の著作権法のガイドラインに基づき引用させていただきます。


2.歌詞を考える

この記事を読む方は既に500000回は聴いているであろう原曲はこちら。
聴いたことのない方は、とりあえず聞いてください。

もしかして我々は気付かぬ内にどえらい法話会に参加していたのだろうか。
そんな幻覚を見ながら、以降は歌詞について自分なりに書いていきます。全て妄言です。

この世の全てが暗闇ならば
瞼を開く意味などないから
いっそこの目を潰してしまえば
溢れる涙は止まるだろうか
夢と神は紛い物 自分は皆の笑い者
泣いたらダメだ思えば思う程
冷たい雨が頬を流れた

最初の十四パート。イジメを受けていた彼の目を瞑って「見えないフリ」でやり過ごす日々。
しかし目を閉じたところで、脳裏に光景は焼き付いているし、耳も塞げず、涙も止まらない。自分自身を消してしまう選択肢すら、当然のように十四の中には存在した。

『夢紛(ユメマガ)』は十四の推しのヴィジュアル系バンドグループ。
文字通りに「夢」と「神」に対する失望と捉えるよりは、『夢紛』というバンドが十四にとっての理想のペルソナ(外面的なあり方。外装と見てくれても良い)だったと捉える方がしっくりくる。
理想のペルソナと、そこから遠く解離した自身の内面(=皆の笑い者)。
二つのギャップは相当十四を苦しめていたはず。
「ペルソナの形成→自身の内面との解離→ギャップへの苦しみ→ペルソナの再形成」……十四はこの歌詞の状態を永遠とループしていたのだろうか。辛い。


俺には我慢ならんもんがある
ひとつは敗北
そしてもうひとつ その傷 誰かと舐め合う事だ
独り立ち尽くし見上げた夜空
お前の叫びはお前のもので
弁護は出来ても代弁は出来ない
同じく俺の怒りや痛みは俺だけのもんだ
誰も触るな

この歌詞でゲロ吐くかと思った(小並感)
最初の獄パート。獄自身、自己紹介がてらに「全て俺に任しとけ」と言っちゃう超強気男。
「任す」という言葉は「引き受ける」であり「担う」であり「保つ」でもある。任せるという行為は、一時的に他者にタスクの一部を預ける行為であり、タスクを直接消滅させる行為ではない。
基本的に弁護士が介入すると、事件の当事者同士は直接的な接触が不可能になる。相談者は自身の苦しみを「弁護士」へと預けるのだ。
獄は「預かっている」ことを自覚している。そして、預けられた苦痛が全てでないことも自覚している。そして賢い彼は、自分に対しても相手に対しても、心の奥底へ無遠慮に踏み込むことの愚かさを知っているのだ。

獄は決して相談者自身としては語らない。しかし必ず相談者の痛みを「預かってくれる」男なのだ。

また天国獄という男は、自身の内面にある傷に対し、痛みに耐えうるペルソナ(外装)を「超強気」と「カッコつけ」で作り上げ、維持する力を持っている。外装と内面に折り合いをつけながら進んでいる。大人だから。
図らずも、十四の迷い込んでいる無限ループを十四の理想とする形で抜け出した「大人」なのだ。そりゃ十四にとって獄さんはカッコイイに決まってる。手羽先片手にリーゼントを決めていても最強にカッコイイのだ(当たり前体操)

そして獄自身が作り上げたペルソナであることを自覚しているが故に、心の痛みも弱さも抱えたまんまであるという点が残される。彼自身のタスクは消滅していないのだ。残念ながら。


疲れ 倒れ 枯れ果てて
もがいて あがいて 堪えて 悶えて
それでも前へ 未来へ 不退転
ひたすら前へ 未来へ 不退転

二つ眼じゃ抱え切れない苦しみなら
ここに預かろう

ここの担当パートによって、十四と獄の立っている場所の微妙な位置の差が出てくる。

十四は「疲れ 倒れ 枯れ果てて」、「それでも前へ」。
獄は「もがいて あがいて 堪えて 悶えて」、「ひたすら前へ」。

ペルソナ自体が未完成(かつ崩壊気味な)十四と、ペルソナはあるものの解決へと至っていない獄。この時点では少しだけ、獄が前を歩いている…ような気がしている。…まあ、根本的には十四も獄も未だ活路を見いだせていないのは事実だろう。

そして──とうとう我らがリーダー、波羅夷空却の出番である。
筆者は波羅夷空却が最推しの為、語りだすと目の曇りっぷりが露見する自覚がある。
彼の魅力は色々あるが、個人的に一つ上げるとすれば「ドラマパートと歌唱パートの間で、人生100巡してきたのか?」というような、えげつないギャップがある点だろう。ドラマパートのヒャッハッハー!!!に対して、歌は「パンクな癖に凪いでいる」ように感じるのだ。大矛盾権現である。

少し脱線。
筆者の生誕地では「お遍路」という弘法大師に所縁ある八十八か所の霊場を巡る修行システム(巡礼)が存在する。
お遍路では初回に寺を訪れた際は白いお札を納めるのだが、周回プレイを重ねていくと納めるお札の色が白→青→(略)→金→錦…と変わっていく。百周目から錦札が使えるようになるらしい。
…まあ、言いたいことは人は修行を重ねれば重ねるほど洗練されシンプルになってていくかと思いきや、案外ド派手な方向に向かっていく時もあるということだ。
修行僧としてはあまりにもド派手過ぎる格好の彼だが、歌唱時の人間修行100周目感ある彼ならスカジャンにバキバキアクセサリーでも良いかな、って思っちゃうのだ。結局、推しだから。

閑話休題。
無限ループでの中で創造と自壊を繰り返す十四の「苦しみ」と、普段預けられる側であるが故に預け先の無い獄の「苦しみ」の受け皿として、空却は登壇する。
そして空却もまた「預かる」だけであり「解決する」のではない。十四と獄が正面を見据える為に、邪魔な手荷物を一瞬だけ預かるのだ。


開眼
さぁ 目を開けて見ろ
意志で 意地で 生きて
一蓮托生 ナゴヤ・ディビジョン
六つの眼で共に見つめよう

サビだよ。どうしてくれるんだこの気持ち。
この瞬間、ナゴヤの3人は真っすぐ前を見たんだろう。

開眼は「悟りに至る行為」であり「魂を入れる行為」でもある(らしい)。
実は美術畑出身の筆者からすると、開眼と言う言葉は後者の「魂を入れる行為」として聞く方が多い。仏像開眼式とか。
芸術技法のひとつとして、仏像の眼をより「らしく」する為に水晶を嵌め込む技術があったりもするし。

眼を作り、世界を見据える魂を手にする。
魂を手にした眼は、何より美しく輝き、世界を映すのではないだろうか。

苦しみを咀嚼する行為は基本的に内向きな行為だ。自らを傷つける行為と言ってもいい。自分に向かってナイフで切りつけるような行為。
これを辞めるには、手に持つナイフを自ら放り捨てなければならない。
自傷を辞めるというのは「言い訳ができなくなる」ことに等しい。
「自分が傷ついているから立ち止まっている」「他人を傷つけるかもしれないから立ち止まっている」……こんな言い訳を。
自分の力で、自分の責任で、向き合い、歩き出すために「目を開く」のだ。

しかし恐れることはない。
泥船での航海でも、茨道への闊歩でも、3人は同じ方向を見て進んでくれる。違うのは、バラバラの傷を負った各々の手荷物だけなのだから。

ナゴヤ! 遂に出番だな
マイク掴んだらここがど真ん中
胸に刻んだ花は曼陀羅
覚悟決めときな真っ赤なバンダナ
忌み嫌われた彼岸花 どんな花でも咲き誇れば
体がふるえる程に綺麗だ
生きた証だ 手を合わした

拙僧お待ちかねの説法タイムである。待ってました。大好き。
自分は一般ピープル故「曼陀羅」に対する理解力は皆無と言っていい。
勝手に「曼陀羅」は仏教における「地図」であり「端的な教科書」のようなものであると思っている。(素人目)

正直に言う。種類が多すぎて「曼陀羅」は全く分からない。
しかし、空却の歌詞部分と繋がっていそうな「曼陀羅」は確かにあった。
『仏眼仏母曼荼羅(裏面には胎蔵界が描かれていた)』である。
語り始めれば無知がバレるので、この辺りは専門家に任せるとして。
ぱっと見は蓮を上から見下ろした図絵そのもの。しかしまあ、コレに仏の眼だったり、胎蔵界だったりが描かれているのだからやけにしっくりくる。

胸(命とも心とも捉えたい)に曼陀羅を刻むのは、十四と獄を導く空却。
そしてバンダナは空却自身が持っていたでもあるし、山田一郎が持っていたものでもある。
ぱっと浮かぶのは一郎との確執だが、個人的にはかつての空却自身向けて「覚悟しておけ」と言っているようにも思う。
空却は導き手であると同時に、空却自身も開眼し歩み始める一人なのだ。

彼岸花は誰か?
空却含む、一癖二癖では済まない周りの全ての人達だろう。空却、十四、獄、一郎、簓、左馬刻、他の誰しも。自傷の果てに、生き抜いた者達への敬意が感じられる。
すげえよ、波羅夷空却……そんなにナリなのに、どうして「生きたこと」へ敬意を示せるような精神が作れるんだ……

誰しも皆 過ちはあるが
間違え方を間違えちゃダメだ
正しさじゃなく優しさを選ぶ
Bad Ass Temple 光輝く
救いの言葉に興味はねぇな
悪いが神や仏じゃねぇんだよ
単なる通りすがりのお坊さん
そんでお前らの家族

…よぉ十四!ぶちかませ!

あまりにも強く、そして優しい空却式「地球の歩き方」である。
空却は座右の銘に「過ちを犯す自由がないのならば、自由を持つ価値はない」と語っている。加えて彼は過ちは本人が認め、本人が正す、というスタンスを取っている。寄り添えども他人の歩みに手を出さないのは、波羅夷空却特化の美点であり、神宮寺寂雷から最も遠い点だろう。
神宮寺寂雷が「己が先頭に立ち、人を正しい道へと歩ませる」という立場なのに対し、波羅夷空却は「己は人と並び、歩んだ道を正しいものとする」という立場なのだろう。

誰よりも個々の意思を重んじる空却は、自分が信じた相手(家族)が選んだ道ならば、誤りだろうが過ちだろうが分け入って否定することはない。家族は誰よりも近しい他人なのだ。

空却の嫌いなものが「群れ集うこと」というのも理解できる。彼は他人(≒多人数)の意思に迎合してしまう人間が大嫌いなのだろう。
良かったね。H歴のラッパーは自己主張の塊みたいな人しかいないから。

……ところで、CDでの「そんでお前らの家族」の部分、あんまりにも声が柔らかくて心臓止まりません? 急に蓮華咲き乱れる鏡水の湖畔が見えたもん(※幻覚です)
ちなみにライブ時に同フレーズを聴いた時は「拙僧は焦熱地獄の悪路でも絶対ェにテメェ等(家族)の手を離さねェ」ってルビ振ってるのが見えてた(※幻覚です)


「奇天烈なメイクのビジュアル系」
などと言うなかれ
これぞ我が運命(サダメ)
隠す為? 否! 曝け出す為
眠りから目醒め 今 覚醒
誰よりも鏡を見つめ続けたナルシスト
だからこそ跪こうとも
何度だって立つ我が生き様を眼に焼き付けてきた

十四、覚醒。
最序盤との決定的な差異は、理想として作り上げてきたペルソナを「自身のものにした」点だろう。
彼が曝け出した「ナルシスト」は、かつての十四が理想とした『夢紛』とはおそらく全く別物になっている。内面と外面の一部を繋げることにとうとう成功したのだ。凄い。

しかも「開眼」と「眠りから目醒め」を完璧に合わせてきている。
十四にとっての「開眼」は「自らの心を隠し守るために、情報を遮断した状態」からの脱却。開いた時の目力凄いんだろうな……ヴィジュアル系だもん……

十四はいまだに戸惑い躓きながらも、自身を否定し壊すことを止め、向き合いって歩み出す覚悟を決めた。


恨む事で強くなるか? 憎む事で楽になるか?
何の為だ? 誰の為だ?
何故だ? ハテナばかりだ
強くなりたいだけじゃない
大事なものを守りたい
信じた正義よ
武器じゃなく人を守る為の盾であれ

獄は覚醒というより「歩み方を変えた」という印象。
触れない・踏み込まないことで守っていた自身の弱さに対して、とうとう自問自答を始める。問いかけ始めたばかりだから当然答えは出ていない。
でも獄の中で「こうありたい」という理想は既にある程度固まっているのだと思う。バイクにまたがり、ライダーズジャケットを着込み、リーゼントをバッチリ決めて、金持ちで、お洒落なバーでアイラウイスキーを頼むような「カッコイイ大人」から、更に自分の正義を盾に悪を貫く「もっとカッコイイ大人」になりたいのだ、多分。

また少し脱線するが、西洋絵画における眼に注目すると、真っ先に思いつくのは「正義の寓意(女神ユスティティア/テミス)」である。
弁護士バッジに描かれた天秤の元となった女神であり、剣と秤を持つ。これに加えて「目隠し」をしているものが多いのだが、本来は目隠しをしていない。自身の目を通して見た世界から、信じる正義を解釈し、貫くのが弁護士の仕事だからだろう。(ARBシナリオで天国獄がテミスの王子様になってたの懐かしいね)
故に、獄にとっての「開眼」は「自分の眼で判断する正義≒ユスティティアへの回帰」としての意味も加わってきそうな気がする。属性特盛じゃん。

筆者は仏教の切磋琢磨とは問答にあると勝手に思っている。
自問を通して、獄は自身の理想である「強くてカッコイイ」外面と、自身が避けていた「弱くて触れられたくない」内面の一致を目指し始めたのだ。
そして内側に持つ答え(≒盾として力を行使すること)の正しさを証明するために言葉を紡ぎ、かつて作り上げた理想の自分へとカチコミ(問答)をしかけようとしている気がする。

地震 雷 火事 親父
なにより恐ろしい それは自分自身
闇追い払う 胸の炎 闘争本能 努力と根性
オワリバリバリ赤髪の坊主
屏風に上手に描いた屁理屈を
押し通すリリック一言一句
よく聴け無鉄砲な説法を

進む先に道はない
ならば幸い 迷う事もない

ここでリーダー空却は、BATの他二人に対して圧倒的な「強さ」を見せつけている。
あまりにも簡易的な回答になるが、空却が十四と獄に対して先進している点は明確に自身の弱さを言語化できているところにあると思う。

そして素人の感想としては「修行が力業(チカラワザ)過ぎでは?」である。
「悟り」は煩悩を消すために、愛や智慧を積み重ねた極点だと勝手に思っていたのだが、空却の悟りへのルート案内は「胸に炎を抱き、闘争本能を持ち、努力と根性で押し通せ」である。……いや、強過ぎん? NAVITIMEで経路案内頼んだら、いきなり樹海突破ルートを案内されるくらいの強硬姿勢がある。

しかし彼自身も、その振る舞いを屁理屈であり無鉄砲であると自覚している。空却は心の内に曼陀羅を刻み、理を理解しながらも、己自身も目前の持悪路を越えていこうとしている。彼もまた道なき闇の中で、足掻いて藻掻いて進み続ける「不退転」の漢なのだ。


開眼
さぁ 目を開けて見ろ
意志で 意地で 生きて
一蓮托生 ナゴヤ・ディビジョン
六つの眼で共に見つめよう

そして、ラストに先述した「開眼 さあ目を開けて見ろ」の歌詞へと戻っていく。繰り返される度に死ぬ。筆者の命は砂絵より儚い。
歌詞内の「開眼」部分を最序盤で聴いた時には「孤独で苦しくても、無理やり目を開けて進むしかない」というニュアンスで聴いていたのだが、一番最後にくると段々と印象が変わってきていた。
言葉にし難いのだが、先の言葉を言い換えるなら「我々は『個』ではあるが『孤独』ではない状態で、前を見て進むことができる」といったように受け取れるようになったと言えるかもしれない。

今更だけども「意志で 意地で 生きて」の部分は優しく弱い者にとっては非常に恐ろしい言葉だと思う。嫌な言葉ではなく恐ろしい言葉。
「成し遂げんとする心で 無理やりにでも貫き通して 生き抜く」という利己的な言葉は、万人の和を重んじて我慢と諦念を繰り返してきた「正しい人間」を真っ向から否定することにもなりかねない。
ここに空却の「正しさではなく優しさを選ぶ」という言葉が繋がってくる。
我慢と諦念はその場限りの正しい答えを導く。……が、先を見据えればその行動は自身に対する偽りであり、後悔の種として根付くのだ。だからこそ、常に自分にとっての「正しい」を考え続ける「優しさ」を手に持っておきたいと思う。

もう発売から500日経っているのに聴くと泣きそうになる。すげえや。

3.おわりに

好きなように書いた。
後悔はしていないが、言語化できない自身の無知っぷりを猛省している。

上では書かなかったのだが、波羅夷空却という男を初めに見た時、真っ先に不動明王像を思い出した。
彼が燃え上がる焔のような、赤い髪を持つ漢だからかもしれない。

西洋の宗教絵画では、徳の高さを端的に表す「ニンブス」というものがある。有名な絵には大概描いているのでよければ見てみて欲しい。人間の後頭部にある「円盤」である。天使の「輪っか」ではない。
ニンブスは徳の高い人間ほど大きく/濃く/厚くなる、というルールがある。日本においては円盤を描かない代わりに、炎や二重輪でこれを表す。
その辺りの関連性も、不動明王を連想させた一因なのだろう。

結論。
噛み砕いても噛み砕いても好きが溢れる歌詞だった。
アフロ様、本当にありがとうございました。
もっとブラッシュアップしたかったが、もう22日も終わるのでここらへんで。Bad Ass Templeは良いぞ。


【※2022/07/25追記】
ライブでの映像も配信されていました。『開眼』は23:45からです。
初お披露目がこの配信ライブだったのですが、パフォーマンスを見た瞬間に諸々思考が吹き飛んで、一重に「こいつァ…凄い曲が来たな…」と感じてました。魂を削るような歌だった。



オマケ

ナゴヤと言えば対になった金のシャチホコ。
どこか仏教系統の展覧会で見たことがあるなあと思って図録を捲っていたら、ヒンドゥー教のマツヤ(魚)だった。
金色の対になった魚で、苦難の大海から人々を救済する化身らしい。
……設定を作った人、あまりにも天才では???



【参照】
CD(楽曲・ドラマパート含む)
『Bad Ass Temple Funky Sounds』
規格品番:KICA-3281

『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle- 2nd Division Rap Battle 「Bad Ass Temple VS 麻天狼」』
規格品番:KICA-3290


本(本編・付属CD含む)
『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle- side D.H & B.A.T』1~5巻
 Evil Line Records 原作, 相羽紀行 漫画, 百瀬祐一郎 シナリオ. 講談社

『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle- Official Guide Book-』
ISBN:4065201632

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