なんとなくに導かれ
何故珈琲豆屋を始めたのか。
何故なのか…。
学生の頃まで時を戻して
長期休暇の度にリゾート地で住み込みのバイトをなんとなくしていました。バイトというか出稼ぎみたいな感じです。清里村の民宿とか八丈島のホテルでダイビングしながらのバイトとか、スキー場のホテルでスキーしながらのバイトとか。
冬休みや春休みはスキー場のホテルでバイトしながらスキーしながら働いているのか遊んでいるのかわからない時に、オーストラリアからワーキングホリデービザで八方尾根のホテルにバイトをしに来ているている陽気なオーストラリアン男子となんとなく仲良くなって、彼が日本にいる間はよく遊んでおりました。
大学4年時の卒業旅行に陽気なオージーの家になんとなく遊びに行くことになり、ついでに長距離バスでウルルまで行ったりとオーストラリア旅行を満喫。
卒業後会社員として働いていた時に、学生時代に友人から沢木耕太郎さんの「深夜特急」を薦められたことをなんとなく思い出し、なんとなく手に取りなんとなく読み始めました。
「嗚呼、世界は広い」そんな思いからなんとなくバス旅がしたくなった。深夜特急のようにユーラシア大陸旅は自分には無理だとわかっていたので、卒業旅行で行ったオーストラリアで「オーストラリア大陸一周長距離バスの旅」ならなんとなくできそうかもと思い、オーストラリアのワーキングホリデービザを取得し仕事を辞め、いざオーストラリアへ。
シドニーに数か月滞在していたのですが、その時にオーストラリアの人はキオスクみたいな売店で紙コップに入って蓋がしてある状態の温かい飲み物を、蓋の小さな穴からちびちび飲んでいるのをよく見かけていました。ある日それがカプチーノという飲み物だと知って、好奇心からなんとなく買ってみたら超美味しかったわけです。
渡豪前は、スタバとかしゃれたカフェとかテイクアウトとかなかった(ガキで田舎者だったので知らなかっただけなのか)ので、カフェオレはかろうじて知ってはいたものの、カプチーノなんて知らなかったですし、コーヒーと言えば缶コーヒーかドトールか喫茶店かの選択肢しかなかったので、紙コップで蓋をしたままミルク入りのコーヒーが外で飲めるということに衝撃を感じたわけです。それもアワアワしたミルクなんてめっちゃカルチャーショックなわけです。
それも手軽な値段でっていうことで、しょっちゅう飲んでいました。甘い缶コーヒーしか飲めなかった私はなんとなく「嗚呼、これが大人への階段なんだ」とオトナな自分に酔いつつ、飲んでました。とはいえ、20代半ばではありましたが。
1年間オーストラリアぐるり旅を満喫後日本に戻り、コーヒーを飲みまくりつつ会社員として社会復帰し、いつしか所帯を持ち、子どももでき、さてこれからっていうときに体調を崩し1週間ほど入院をすることになりました。幸い大病ってことではなかったので、体が動かないってわけでもなく、検査とかちょっとした治療をしつつな感じでした。
入院中は元気だったので暇で暇で。暇だったからいろいろ考えてしまうわけです。
その当時横浜に住んでいて職場の渋谷まで片道1時間ぐらいかかっていました。因みに独身時は実家から片道2時間ちょっとかけて通っていました。
数年後には単身赴任なんてこともありえたので、「家族のそばで働きたい。」「子どもに働いている姿を見せたい。」「住職隣接!」となんとなく思ってしまったのです。
入院中のベットの上で「独立?」「自営業?」「何を?」「どこで?」といろいろ考えていたところ、ふとオーストラリアで飲んだカプチーノを思い出し、「コーヒー」と頭の中になんとなく浮かんできてしまったわけです。
「嗚呼、コーヒーだ」というわけで、そこからはコーヒーの勉強?的なことをはじめたわけです。
で、気づいたら開業して、なんとなく21年経ってしまったわけです。
なんとなく始めたバイトでなんとなくオージーと仲良くなり、なんとなく読んだ本に影響を受け、なんとなく学生時代旅行に行ったオーストラリアに再度行き、なんとなく飲んだカプチーノにカルチャーショックを受け、なんとなく自営業を始めたという感じです。
なんとなく自営業を始めたというのは語弊がありますね。
ちゃんと計画を立て、家族を説得し、開業資金をためたりと、そこは真面目にやりました。
いえ、すべてにおいて真面目です。バイトも仕事もコーヒーにも真面目に向き合いました。が、言葉で説明するとなんとなく「なんとなく」なのです。
子どもの頃からの憧れだったとか、家業を継いだとか、スカウトが来たとか、夢を見たとか、神の啓示とか、そういうのではなく、流れに身を任せた結果という感じなのかな?っていう感じです。
ただ「なんとなく」に身を任せたから営業を続けられているのかもしれません。
というわけですので、これからもどうぞよろしくお願いします。