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1 こんにゃくえんま

わたしのなかだけの「東京」のお話


昔むかし、あるところに
こんにゃく閻魔と呼ばれるエンマ大王様がいました

この頃の東京では、色気がなく隙のない人の事を、こんにゃく、と呼び嘲笑する文化がありました。

こんにゃく閻魔様(以下:こんにゃく)は毎日うんうん悩んでいました。



こんにゃく: 今日もまたこんにゃく、と呼ばれてしまった。わたしが人間の男の前を通り過ぎようとすると男たちは急に黙って、レジ前のフライコーナーでつまみを見定めるみたいにジロジロと。わたしが揚げ物みたいにジュワジュワしてたら果たして奴らはわたしをチヤホヤしてくれるのか。

こんにゃく: だいたい閻魔様の事を人間が恐れなくなったのはいったいいつからなのだろう。わたしが生まれて物心ついた時には周りの人間は怖がりも敬いもしなかった。ぜんぶとーちゃんが悪いんだ。とーちゃんはいつもヘラヘラしてさ。その気になれば誰にも負けない怖い顔で怒ってくれればいいんだ。怒ってくれればいいのに。とーちゃんが恐れられてくれれば、娘のわたしもおまけに恐れらちゃってさ、人間もブルっちゃって、

こんにゃく: わたしは恐る恐る番犬ガウガウの骨を取るみたいにそーっとそーっと話しかけて来る人間どもにクスリとでも微笑んでみれば、さあもう、わたしはたちまちナーバスでアンニュイでグラマラスな上にソーキュート、とーちゃんそっくりの低いこの声もいつの間にかハスキーって分類されちゃってさ、歌屋に呑み屋にひっぱりだこの人気者になれちゃったのに、、、!


こんにゃく: 全部とーちゃんが先に、わたしが生まれる前にやっちゃったんだもん。こんなのどうしようもない。過去に生きてたらな、過去を変えれたらな、とーちゃんを変えよう、とーちゃんは怖いエンマ大王であるべきなんだ、生まれる前に戻らなきゃ!!そうだ!!わたしはエンマ大王!こんにゃくが付こうが付かまいがそんなのはどうだっていい!かの有名なエンマ大王様なのだ!


100対1で勝とうが101対1で勝とうが圧倒的勝利に違いはないのさ!!例えその1点にどんな血汗涙、体液3種のにじむような展開があろうと!例え地味なグレーにぶつぶつ、味の薄いこんにゃくに、どんな惨めな思いをきてようと!痛くも痒くもないのだ!!!ともかく!わたしは世界のエンマ大王様なのだ!!!


さすればさっさと過去改編といくべきだ!善は急げ!恋はタイミング!好機はいつもわたしの目の前にぶら下がっている!!とりかえせ!わたしがチヤホヤされるためだけの世界へ!!!!!!!

2021年の東京、小石川
ここにはこんにゃくエンマを祀る神社があります

こんにゃくエンマ大王様の家系には、過去に戻れる不思議な力がありました。

ことさら不思議なことに、こんにゃくエンマの子供たちは、どの子も漏れず、いつの間にかこんにゃくエンマと呼ばれてしまうのです。そしてそのうちに、これまたいつのまにか親になる頃には、それはそれは、たいそうな人気者になるのです。

こんにゃくエンマの由来は、色気がないから、隙がないからだと、そうこんにゃくエンマ族の皆様は思い込んでおりますが、実はその由来は、懲りないめげない、そのプルプルの精神にあるのでした!

わたしは好きだよ!こんにゃくエンマ!みんな見てるよこんにゃくエンマ!頑張れ頑張れ!今もどこかで抗っているこんにゃくエンマ!!アッパレ〜!

チャンチャン!


あったらいいな、目はきっとプルプルだといいな


ほんとのこんにゃくえんま様

↓↓

📍東京都文京区小石川2-23-14
源覚寺

閻魔さまは、冥界にあって亡くなった人の生前の罪業を裁断する十王のうち、最も知られているひとりです。
源覚寺の閻魔さまの右目部分は割れて黄色く濁っています。
それにはこんな言い伝えがあります。
宝暦年代のころ(1751年〜1764年)、眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴方に差し上げよう」と言われたそうです。

満願の日に、老婆の目は治りました。
以来、大王の右目は盲目となりました。
老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供えつづけたということです。
このことから、源覚寺の閻魔さまは「こんにゃく閻魔」と呼ばれるようになり、眼病治癒の閻魔さまとして人々の信仰を集めています。

実際もへ〜んな話!

ァァァおかげさまで食いつなげます