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私たちの世界から の が消えるとき

生まれた翌日からイケメンと呼ばれ続ける男(3歳・園児)

私には3歳の息子がいる。彼は生まれた翌日から現在まで、とてもきれいな顔立ちをしている。どこに行っても誰と会っても、「イケメンだね」と言われ続けながら3年半生きている。

おっと、自慢話がしたいわけではない。

そんな彼は、長女に比べ、男女の違いもあるのか話し始めの時期が遅く、大丈夫だろうと頭ではわかっていながらも、私は母親としてとても心配していた。しかしそんな私の心配もただの心配に終わり、言葉の爆発期を迎えて以来、日に日に語彙量は増え続けている。

美しい日本語

子どもには成長とともに十分な読解力を身につけてほしい、そのためには語彙力があったほうがいいだろう、語彙力を身につけるのに、無理をさせずに今できることは何だろうと考えたとき、私がしてあげられることの一つに、美しい日本語を使うということが浮かんだ。

娘が言葉を話し始めてから今日まで6年弱、私は自分が発する言葉には注意を払っている。

ざっくりと例を挙げると、こそあど言葉、行く来るの誤用は日常会話でよくあるパターンだ。
娘が使い方を間違えたとき、私は彼女の話すことの楽しさを奪ってしまわないよう、直接的な指摘をせずに正しい言葉で復唱するように心がけてきた。

日常会話のなかで慣用句や諺を使うのも、努めていることの一つである。
(最も、私自身、実は慣用句や諺の知識量には自信がなく、勉強の日々なのだが…)

助詞 「の」 の胸キュン的用法と私の心の葛藤

さぁ、息子が話すようになったので今度は息子の番である。
口や舌の発達段階によって(個人差があるようである)、発音しづらい音があるのはさておき、言葉の間違いの多いこと。(多くは聞き間違いからであろう。耳の発達と共に自然に良くなると思うので悪い事だと言いたいのではない。)

ある時、息子が「可愛い」を覚えた。
息子の「可愛い」は一般的に聞く「kawaii」ではない。「kàwá-i」なのである。
(その言い方こそが、カワーイだよ!!!!と、この単語を聞くたびに心の中で叫んでいる)

今回も、わざわざ指摘しない、あくまでも日常会話の中で私がお手本となって正しいイントネーションで聞かせてやるのである。

私がいつもと少し違う髪型や服装をしようもんなら、
「ママのお洋服、カワーイねぇ」
「ママ、なんかそれ(頭を指さし)、カワーイねぇ」
このまま時が止まればいいのに、何度思ったことか。

おっといけない、また話が脱線した。

そんな息子がとても丁寧な日本語を覚えて感動した。
「香り」である。おそらく、「におい」より先に覚えたのではなかろうか。
ただ問題は次である。
息子がこの言葉を使う主なシーン、それは私の香水やシャンプー、化粧品の香りがした時だ。

「ママのこれ、いいの香りー!」



お分かりいただけただろうか。。。


「ママ、これ、いいの香りーーー!」


?!?!?!

いい ''の'' 香り?!?!


これは日本語的に問題である。
日頃の私なら、
「うん、いい香りだねぇ」
と共感しさりげなく正しい日本語を聞かせてあげる。

だが、できなかったのだ。 

そう。問題なのは、息子の間違った使い方なのではなく、
間違いに気が付きつつも正しい日本語を聞かせてあげられない私なのである!!!




だって、可愛いじゃん?!?!?!?!

格助詞「の」にこんな可愛い用法、ある?!

息子は世界で初めて、
格助詞「の」の胸キュン的用法を見出したのである。

とはいえ、このまま「の」を入れたまま使わせていいだろうか、悩みに悩んだ末、私の出した結論は、

「胸キュン的用法、採用✋🏻」
であった。

世界から「の」が消えるとき

いい香り、なんて言葉、私が正してあげなくとも、日常生活でよく聞く言葉なのだから、自然に覚えて(気がついて)いつの間にか「いい香り」へとアップグレード(私にとってはダウングレードであるが。)するのだろう。

私たちの世界から「の」が消えるとき、それは、
息子にとっては語彙力向上の瞬間であり、成長であり、
私にとっては、息子の成長はこの上ない喜びであると同時に、
時が止まってくれればいいのに、と思うほど愛おしい「3歳半の」息子が離れていくことなのである。


愛おしい息子よ、今日も母さんはあなたの「の」に癒された。
あと何日、この「の」に胸キュンさせられるか分からないけれど、母さんはずっとこの「の」のこと、そして可愛い『今』のあなたを忘れないよ。

いつかこのnoteを読む日が来たりなんかしちゃったら、その時にはまた胸キュン的用法、聞かせてね、なんちって。

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