〈私〉を離れないこと

昨年七月から今年一月十日まで、所沢市の角川武蔵野ミュージアムで俵万智展が開催された。

内容は、俵の作品から選んだ約三百首を壁やオブジェに印刷し、空間全体を作品として体験させるインスタレーションの手法による展示をメインに、俵がかつて受賞した角川短歌賞の選考座談会の記事や『サラダ記念日』がベストセラーになった当時の報道記事などが資料的価値を高め、家族宛の葉書などが俵の人物像をより伝えている。

訪れた際は新型コロナウイルスの新規感染者数が落ち着いていたこともあり、平日の午後でも人出は多かった。要因は複数あろうが、俵が現在の歌人で最も知名度が高く、歌が平明かつ明晰で読みやすく、日常の小さな発見から詩を紡ぐ作風が不特定多数の共感を呼ぶ点が作用したことは明確に挙げられる。

・大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋       『サラダ記念日』

・朝ごとの検温をして二週間前の自分を確かめている 『未来のサイズ』

一九八七年刊行の第一歌集『サラダ記念日』と二〇二〇年十月刊行の第六歌集『未来のサイズ』から引いた。どちらの歌も時代の空気を的確に描き、その技倆が俵を俵たらしめている。

一方で、社会状況を詠んだ歌でも俵は決して〈私〉を離れて詠わない。時代が持つ空気や物語や抒情は各時代で異なる。俵が歌人として第一線を走り続けて来た理由のひとつは〈私〉を離れなかったからだ。そこにかえって物足りなさを感じる読者もいるかもしれないが、〈私〉を描くことは近代以降の短歌の機能とも密接に関わることであり、単に時代に利用されないための俵の矜恃でもあったのだろう。


しんぶん赤旗  2022年1月26日文化面「歌壇」欄掲載
※タイトルは編集側でつけています。


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