見破られる前に尻尾を出す

概要

ライムローテーションとバールストン先攻法の話からの連想で考えたこと。

もしも自分がコンピュータであり、周囲にそれを知られたくないのだとしたら(※1)、それをあえて一度告白するだろう。
その事実を徹底的に隠そうとするよりも、わざと時々“私はコンピュータです”みたいなジョークを盛り込む――という戦略を選ぶ。
そうすることで真実を“すでに検討済みの可能性”の中に紛れ込ませ、その仮説から他者の意識を逸らすことができるのではないだろうか。

また後日、うっかり正体をばらしてしまうような失態があっても、“またキャラクター作りかジョークの一環だろう”と解釈してもらえるかもしれない。
嘘の中に真実を混ぜたほうが嘘の強度が増すと思う。

失敗の人間性

コンピュータは、このような“わざと失敗をする”という戦略が苦手だ。
人間のふりをすることが強く要請されている場合、コンピュータであると疑わせる行動は慎み、決して行わないように注意するはず。
だが皮肉にも、そうした“決して行わない”という完璧さこそが人間性と反するもの。
“本当に人間だろうか?”という疑念を抱かせることに繋がる。

失敗するコンピュータ

では、そこまで考慮して設計されたコンピュータは実現できるだろうか。
上述のようなジョークを口にするなど、あえて人間ともコンピュータとも判断できる余地を残しておく。
外部から観察しても“コンピュータのような性格をした人間”なのか“人間味を備えたコンピュータ”なのか、見破ることは困難になるだろう。

もちろん現在のテクノロジーでは、そのようなレベルで思考できるコンピュータが実現されている。
あなたの周りにも、人間そっくりの挙動をするコンピュータがあふれている。
やがて人間のほうが少数派になったとき、あなたは自分が人間であることを周囲に知られないための工夫を求められるだろう。
そのときは“人間のふりをしているコンピュータ”を演じ、たまに漏らしてしまう人間らしさもプログラムの一部と錯覚させることで、彼らの目を欺くことができる。※2

(文/SIX)

脚注

※1 実際そんなことはありえないのだが、あくまで思考実験として
※2 ある程度までは

from 韻韻
実際どっちなんだい?

変更履歴

2021.8.24 メールマガジン用に書き下ろし
2022.4.4 note用に改稿

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