認識力の個人差

概要

韻の評価において読者ごとに差が出る要因として、韻の認識力の差が挙げられる。
例として、以下の韻に対する評価の分かれ方を考えてみる。

「コロッケ定食」と「コロンブス提督」に対する評価

例1(感覚的)

語感や雰囲気から、感覚的に“「コロッケ定食」と「コロンブス提督」は韻を踏んでいる”と評価。

無意識に、ライムフレーズの区切りは意味上の区切りに一致すると考えているのだろう。

Don't think, feel.
それはそれで韻の楽しみ方ではある。

例2(末尾に特化)

「OOっEEIOU」と「OOんUUEIOU」で末尾4音だけ踏んでいる、と評価。(表記に準拠した解釈)
あるいは「OOっEEーOU」と「OOんUUEーOU」で末尾4音だけ踏んでいる、と評価。(発音に準拠した解釈)

つまり「定食」と「提督」だけを韻ととらえている。

フレーズの末尾に着目して韻を探す傾向があり、末尾(最終音)から遡って判定し、母音不一致の箇所までをライムフレーズと認識している。

例3(頭韻も評価)

OOっEEIOU」と「OOんUUEIOU」で2音の頭韻と4音の脚韻がある、と評価。(表記に準拠した解釈)
あるいは「OOっEEーOU」と「OOんUUEーOU」で2音の頭韻と4音の脚韻がある、と評価。(発音に準拠した解釈)

先頭の「コロ」と「コロ」、末尾の「定食」と「提督」を韻ととらえている。
フレーズ末尾以外にある韻も認識している点で、例2より厳密である。

このように、一見ワンフレーズとワンフレーズで長く踏んでいるように見えても、実態はショートライムの集合体として認識できるケースがある。

ただし、以上のように細かく認識する読者は、作者の意図しない部分(偶然母音が一致した箇所など)を過剰に韻と認識しがちである。
ライムセンサー(※1)の感度がよすぎるのは考え物だ。

余談

今回の例では説明をシンプルにするため、母音一致をベースに考えている。

しかし、「コロッケ定食」と「コロンブス提督」は母音不一致を内包するファジーライムととらえることも可能だろう。
あるいは音源作品では発音の工夫によって、より自然な韻に昇華できるかもしれない。(発音依存ライム)

(文/SIX)

脚注

※1 勢いで書いたため詳細は不明

from 韻韻
ゴオウインのライムセンサーは公民館一。

関連項目

  • コラム“長さ至上主義”

変更履歴

2017.8.9 下書き
2021.10.19 メールマガジン用に清書
2022.6.24 note用に改稿

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