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睡眠具-looking(4)

近頃はひとりで、駅から電車の中、そして最寄り駅から家路までをぼうと夢想しながら帰ることに耽っていた。彼女のことを考えるのに、これ程までに甘美な時間を私は知らなかったのである。
彼女もまた、ひとりで帰ることの多い孤高の人だった。黒い紗幕一枚でそこらの有象無象と隔てられているような仄暗さが、私の心を捉えて離さなかった。最も、彼女がいったい何を考えながら帰路を過ごしているのかということについては知る由もなかった。
しかし今日は偶々玄関で彼女を見かけたので、勇気を出して彼女を帰りに誘ったところ、駅まで一緒に歩いていくことになった。
彼女に質問して、確かめたいことがあった。

「ねえ、ライマ」
私のなかに、彼女に抱かなかった感情がいつしか芽生えたことに気が付いてから、いつも彼女とどんなふうに話していたのか忘れてしまって以来、何だか上手く話せないでいる。
「きのうね、ライマが夢に出てきたの。」
「やったー!どんな、どんな夢?」
「ええっとね、ライマ、と、寝てる夢。」
「夢でも寝てるなんて、へんなの。よく授業でも寝てるってのに!本当に大好きなんだねえ、寝るの。」
「ライマはさ、」
彼女は緩く首を傾げる。束ねられた、美しく波打った黒髪がしだれる。
「いつも、どんな夢を見ているの。」
「私の夢にはね、よく出てくる女の子がいるんだ」
どきりとした。私じゃない、誰かが、夢に。
「それ、誰なの?」
「その子、はっきり名乗ったの。『ティコ』って。」
「ライマが猫のぬいぐるみにつけた名前じゃん、それ」
「ふふふ、そうなの。」

******

制服のネクタイを解いてベッドに放り、私も一緒に横たわる。安堵で力が抜けていく。彼女の毎夜の夢での話し相手の正体がわからず気を揉んでいたが、それは私があげた猫のぬいぐるみであったのだ。普段は聡明な彼女であるが、高校生にもなって、ぬいぐるみとお話する夢を見る。私が抱えていたのはとんだ杞憂であったどころか、ますます彼女の二面性に惹かれることとなってしまった。
だが、やはり彼女には夜間に立ち上がってあちこち歩き回ったり、言葉を発したりしていることに関する記憶はなかった。ライマは凡そ夢遊病といったところであろう、という私の憶測は正しかった。彼女が日中どこか気怠そうにしているのもそのせいだろうと合点がいった。
事実を確かめて早くも、良からぬ好奇心がむくむくと湧き出てきた。
ライマは一体、なにを話しているのか。
気になる。
今週末、睡眠具を打診してみよう。あの店なら私の願いはなんだって叶えてくれるだろうという確信がもてていた。

******

土曜の、風が温い夜であった。夏は過ぎたというのに、この部屋に留まる空気は仄かに蒸している。家族が全員眠りについたと見えたので、音一つ立てずに部屋を出た。

あの日と変わらず、冷たいドアチャイムが私を受け入れる。
しかし何処からも声が聞こえてこないので、鬱蒼とした茂みのような、店内に乱雑に溢れる寝具たちを掻き分けながら奥へと歩みを進める。
すると、寝具の山の陰に一点灯るミシンの明りが見えた。そこでは、あの少女が居眠りをしている。

「あの、すみません」
少女ははっとして顔を起こす。乱れた髪を撫でつけてすました顔で応える。
「今夜はなにをお求めですか…」
私は事の顛末を話した。
「あなたも良からぬことを考えますねえ。欲もほどほどにしといた方がいいですよ。まあ、うちに出来ないことなんかないですけどね。」
「本当ですか!」
「後日、その猫うちに持ってきてくださいな。いい感じにやっときますんで」

******

その晩は妙に気分が浮遊していた。瞼の裏に映る幾何学模様を眺めながら少しずつ意識が遠のいていく。

しばらくして、彼女の声が聞こえてきた。
「ねえ、ティコ、今夜も会いたかったよ」
それを聞いて彼女に抱いていた愛おしさがいくらかむず痒くなるのを感じた。



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