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睡眠具-looking(7)

気が動転していた。ライマがこちらを見ていない隙に鞄にぬいぐるみを詰め込んで、外へと運び出して来てしまった。いつの間に、雨が降り出していた。
家路の途中、橋の下を覗き込んでみると、雨を集めた川が轟々と流れていた。水嵩は増し、濁流となってゆく。
濁った水面に、どうしようもない気持ちを落とした。鮮やかな緑色は流れに揉まれて消えていった。

傘もさし忘れたままライマの家を後にしてきて、気づけばもう家の玄関に立っていた。すこし錆びた気のあるドアを開けると、重い湿りが立ち篭める。

手を洗おうとして洗面台の前に立った。雨に濡れた自分の顔と対峙する。目の前に垂れた髪から雫が滴り続けている。
私は、やり遂げたのだ。緑の短髪の少女のことを思い、気持ちの悪い位に口角が捻じ上がっていた。
それに気がついた瞬間、あのほくそ笑むような表情をしていた緑髪の少女と自分の顔が鏡の中で重なった。

右手で、洗面台の鏡の裏にある棚から鋏を取り出す。左手で、濡れて重くなった髪を束ねる。そうして洗面台に頭を垂れる。気持ちきつく束ねた髪に、鋏の刃を滑り込ませる。
一面、洗面台が緑色の髪で染まる。もっと、もっと短く。鋏で内側へ、より内側へと、切り込んでいく。
次は前髪だ。濡れた前髪を左手で纏め、一思いに切り落とす。縦に鋏を入れ、疎らに梳いていく。

我に返って正面の鏡に向き直る。濡れた前髪が顔に張り付いて酷い見た目である。執着の化け物のような自分にはお似合いであった。

「ああ、川に彼女落とす前、服、剥ぎ取っておくの忘れてた」

******

幸い、今日は土曜日であった。似たような青いシャツワンピも買うことができた。猫の耳は持ち合わせの白い布で縫い綿を詰め、カチューシャに貼り付けた。
夢なので視界も記憶も朧げだろう。完全に同一人物じゃなくたって、これで、入れ替われる。

静かな夜であった。
あの子は毎晩、窓を開けて眠る。

もう、夢を見始めているだろうか。
ティコがいなくて眠れなくなっていたりしていないか。
と、思慮していると、ベッドに横たわる彼女の声が聞こえてきた。
「あれ、今夜は、ティコちゃん、出てこないの。寂しいよ。どこにいっちゃったの」
心音が高鳴る。もしも、勝手に入ってきたなんてばれたら、彼女とは絶交間違いなしだろう。

一か八かの賭け。
「ちゃんと、ここにいるにゃあ」

深い沈黙が流れた。黒々とした瞳がこちらを怪訝そうに見つめている。ああ、もう駄目だ。ライマとなんて最初っから一緒になるなんて無理があったんだ。もう、彼女のことは忘れよう。

「会いたかったよ」
次の瞬間、暖かい腕が自分の肩を覆った。
「これが、夢じゃなきゃよかったのに」
もうティコは、いないのに、彼女を尚思慕し続けるライマを見て、やるせない気持ちで胸が満たされた。
「嬉しいこと言ってくれるにゃあ、でも、わたし、夢の中にしかいられないの」
次の瞬間、彼女がからから笑う声が耳に入った。
「なに『にゃあ』とか言っちゃってんの。てかティコちゃんと、喋ったことあったの?変だよ、それ」
彼女が言っていることが、一瞬理解できず、頭がクラクラとした。

「こんなふうに、現実でルッキが夜に会いに来てくれたらいいのに」
「ライマ、夢じゃないよ」
私は、ライマの肩を強く抱き返した。
ふたりは、その晩暫くそうやって互いの体温を感じていた。

ライマが目を覚ました。
「夢じゃなかったのね、ルッキ」










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