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洪思翊中将の処刑の話

洪思翊中将の処刑はいずれは読まなければならない作品だと思っていた。山本氏が一番書きたい作品を書いてくださいと頼まれて書いた著作がこれだったという。


〈韓国出身者の陸大卒の将官が、日本帝国に忠誠をつくし死んでゆく。〉こういう筋書きなら、誰もが食いつく興味深い話である。


しかし、言うまでもなくそんな単純な話ではなかった。洪思翊は確実に祖国韓国にたいして思いを抱いていた人であった。祖国が独立した暁には数学の教師をやりたいと思っていたような人である。韓国独立にかかわる運動を起こしてもよさそうな人でもあり実際に期待もされていたかもしれないが、結局積極的にそういった運動にはかかわることがなく、フィリピンにおける捕虜収容所の責任者としてその職責を全うし、問われるべき罪もないまま最初から筋書きの決まっていた裁判の判決を飲んで死んでゆく。しかも何も弁明をしなかった。


山本氏は米兵の日記などを丹念に読み込み、日本軍が捕虜米兵に対して残虐的な行為は何かのアクシデントみたいなことはあったかもしれないが恒常的にはなかったであろうという結論を出しておられる。洪思翊中将の処刑の話なのに米兵の日記が数章にわたって続くのでいささか奇異な感じにとらわれたが、山本氏は洪思翊の冤罪を晴らしたかったのであろう。山本氏自身がフィリピン戦線にいて、この戦闘の一当事者でもあった。しかも中将の死に立ち会った片山牧師に処刑場建設の話を聞き、どうやらそれは山本氏も建築にかかわっていたことを知った時の衝撃を記されている。こんな偶然があるのだろうか。洪中将は死後もなおその人格が高潔であり、その人間性が今もなお語り継ぐべき内容を持っているからこそ、脱線のように見えるが、冤罪を米兵の手記を通して晴らすことは大切であった。


処刑台に上がるときにぽつりと甲種合格ならぬ、「絞首合格だったよ」と冗談を近くにいた日本人に漏らしたという。ドストエフスキーが砲口に向かって突撃できる兵隊でさえ、死刑の判決は精神的に耐えることができないという、と山本氏はおっしゃっており、昔の軍人は処刑台に臨んでも平然としていたというイメージとは違うことを書いている。事実この時に独房で近くにいた山下奉文大将は「おれは東条の奴に売りとばされたんだ」(片山牧師)という言葉を残したという。山下のような勇猛果敢なイメージの男にして死に際してはちょっと残念である。無論、洪中将は覚悟ができていたので、そのような取り乱しもなかった。


辞世は以下の通り


くよくよと思ってみても愚痴となり

敗戦罪とあきらむがよし


昔より冤死せしものあまたあり

われもまた これに加わらんのみ


「片山君、何も心配するな。私は何も悪いことはしなかった。死んだら真直ぐ神様のところへ行くよ。僕には自信がある。だから何も心配するな」

と逆に片山牧師を励ました。時間が来てMPが近づくと落ち着いて立ち上がり、「片山君、君は若いのだから、身体を大事にしなさいよ。そして元気で郷里に帰りなさい」

と別離の言葉を送った。


マッカーサーは遺骨を遺族に渡しもしなかった。洪中将は夫人と一緒になるために墓も立ててあったのである。このあたりの行為は死後も罪人は罪人であるとする中韓との態度の類似性が認められよう。


最後はこう結ばれている。


「もちろん洪中将は、いわゆる英雄でもなければ革命的英雄でもない。いかなる点から見ても、ヒトラーにも、レーニンにも、スターリンにも毛沢東にもなれる人ではない。一言でいえば、彼は「青銅の人」ではなく、血のかよっている人間だった。しかし、青銅の人は果たして人間に何をもたらしたのであろうか。人びとは、その存在の空しさをどこかで感じはじめたはずである。将来の人類に要請されるのは、英雄的な資質よりも、むしろ彼がもっていたような資質ではないだろうか」


最後は山本流で押しつけがましくもなく、このような偉人が目立たないところにいたのだと光を当てて締めくくっている。洪中将にとって最高の誉れは、山本七平氏のような戦後日本の最高の知性の一人がその身近におり、皮肉にも山本氏は処刑台建築にいた可能性があったがそれゆえに、このような形で死後の冤罪を晴らし、その人格までをも顕彰し、人々に語ってくれたことであったろう。


極端に逃げる人間は幸いである。右か左か、大東亜戦争はアジア民族の解放戦争だったとか、アジア太平洋戦争は侵略戦争だったとか、それはこの戦争の当事者じゃないからそんな総括ができるのである。そんな両者の話はよく調べもしない紙芝居の類に過ぎない。今のところ言論界では前者が優勢だが、こういう趨勢は出版社が金になるからとそういうたぐいの著者に本を書かせるから起こる現象であって、喜んでそういう本を買っている読者はいささか編集者によって見下されているということを知らねばならない。


山本七平はそういう底の浅い書き手ではないからこそ、今も生きているのである。山本氏を支えている読者は、山本氏が極端主義ではないところに知性を感じているのであろう。いささか日本教だとか奇抜なこともおっしゃるが、それだけが彼の持ち味ではなかろう。山本氏の熱心な読者こそ、期待の持てる層だろうと思っている。

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