中心でつながるために②
死と誕生のワークショップでは、
私は意外にもとても満たされた気持ちで
デブリハット(落ち葉と枝でできたドーム。ここではお墓であり、生まれ変わりの準備をする空間)の中に入りました。
あれは、それまでの人生を振り返って
その先の人生をもっと私として生きていくために
必要な通過点でした。
その後はあまり変化がなく、
私は親とつながる望みを持ったまま、
自分の内面を観察して
どんな時も自分の中に湧き上がるものから
目を逸らさず受け入れる内的な取り組みを
ひとりで続けていました。
実家に電話すると、父が出たときは、
父は私と話すことを避けているのか、
すぐに母にかわろうとしました。
母はときどき電話をくれて、
近所の話題や私の同級生に会ったとか、
私にとってはどうでもいい話ばかりしました。
そんな表面の話を
いくらしていてもつながれない。
でも母を癒したい氣持ちもあって、
母がその話をしたいなら
私は聴くべきなんだろうか…
母と電話で話すたびにこの葛藤が出てきました。
そんな中での①の冒頭の話、
7月の終わりに
母が泣きながら電話をよこしたのでした。
母は、どうでもいいような話をしながら、
実はずいぶん一人で苦しんでいたようでした。
以前母は、自分の親に苦しんできたから
私には同じ思いをさせたくないと言っていました。
そこが私が母を立派だなと思うところなのですが、
私も母から話を聴いたり、
母の両親と同居していたので一部は知っていますが、
だから苦しんでいることを言わなかったのだと思います。
「泣く」ということは
母にとっては
つらさ、悲しみが抑えきれないということ。
(限界以上まで我慢したんだな)
私にとっては
ただの反応の一つでした。
(私は日常的に自分の内面を観察して、
涙が流れたら拭いてまた観察を続けている)
私が母に話をしている時に私が泣くと、
母は話を逸らそうとしていました。
そういう時は、
「親なら私が泣いたくらいでうろたえないでよ」
と思っていたけど、
そういうことだったのか…
母は、私が泣かないように
私を苦しめないように。
それでも私と話したいと思ったら、
表面的な当たり障りのない話をするしかなかった。
あれは、母が私につながるための
精いっぱいだったんだ。
でも私はむしろ、
どうでもいい表面の話を聴かなければならないことに苦しんでいました。
そして本当の氣持ちを話してくれたことが嬉しかった。
ずっと親と中心でつながることを
望んでいてもかなわず、
表面的な関わりに苦しんできた私にとっては、
苦しみの話でも嬉しかったのです。
状況を知るためにいろいろ質問すると、
母はとても素直に答えました。
こんな関わりは初めてのことでした。
母の苦しみの始まりは私が中学生の時なのですが、
実際は母は子どもの頃から
強烈な痛みを抱え続けてきたのだと思います。
それに関わることは私がやりたいことと重なる
ところがあるので
できることがあると思ってはいましたが、
専門家ではない私には手に負えないという思いと、
そもそも表面的な話しかできなかったので、
どうしようもなかったというのもありました。
でもその電話のことが起こる少し前、
私の先生が教えてくれたのです。
「使命とは、人生からの問いに応え続けること。
ハートを開いて起こる出来事と出会っていくこと」
(この言葉、知っているのと知らないのとでは
人生が全く違います!)
可能性があってやりたいと思うならハートを開いて取り組めばいい。
(私はまだハートって何なのか
わからないけどね^ ^)
そしてさらにその少し前に私が読んでいたのは
「それでも人生にイエスと言う」
V・E・フランクルの本でした。
読んでいた本
先生が教えてくれた言葉
母からの電話
それと私が取り組んできたこと。
それが私の人生の上に一列に並んで、
今、このことを受け入れて
Yes!と言って
ハートを開いて出会っていくことを
人生に促されているのだとわかりました。
本当の氣持ちを差し出してくれた母に、
私は精いっぱい応えたいと思いました。
それから私は、
母の苦しみを理解するために頻繁に電話をかけたり、
本を読んで学んだりしていました。
親に包んでいてほしいと思っていたはずなのに、
氣がついたら私の方がお母さんのことを
包んじゃっているんじゃない?
これじゃあ立場が逆じゃない?
それなのに自分の深いところから
嬉しい氣持ちが湧き上がっているのが
不思議でした。
私、それでも幸せだって思えるんだ…
私が本当に望んでいたのは、
包んでいてもらうことではなくて、
お互いの中心で関わることだったんだ。
自分に対しての新しいきづきでした。
また続きを書きます。
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