中心でつながるために③

何年か前から母はときどき手紙をくれます。


その最後によく「紫ちゃん大好き!」
と書かれています。


最近やっと「そう言えば…」ときづいたのですが
他にも母はこうやって氣持ちを言葉にしていました。


でもどうしてなのかわからないけど
私はそれを受け取れなくて、
言葉はいつも私を素通りして行きました。


本当はお母さんも感受性が強かったんだ…


他の家族は誰もそういうことはしませんでした。

だから家族の中に
誰も腹を割って話ができる人がいなくて、
一緒に住んでいても、
誰とも中心でつながることができなかったのだと思います。

だから家族の問題を
全部一人で抱えようとした。


私が10年なのか20年なのか、
弟が生まれた時からなのか、
(この時から両親は私にとって対岸の人でした)

ずっと抱えてきた親とつながれない苦しみは、
実は母はもっと長い間抱えていて、
そのまま母の両親は死んでしまったのです。


このことにきづくまでは、

どうして私は話ができない人たちのところに
一人で生まれてきたのだろう

という深い悲しみ、怒り、絶望が
いつも私の人生の根底に流れていました。


でもお母さんはもっと大きな苦しみを
長い間抱えてきたんだ。


どうして今まできづかなかったのかな…

家族の一人一人を思い出したら簡単にきづきそうなのに。


吉祥寺の教会に通っていた時、
宣教師さんたちはいつも
「愛しています」と伝えてくれていました。


7年くらい前に母と電話で話していた時に、
ふと閃いてそれを真似して言ってみたことがありました。


「お母さん、愛しています」


一瞬の間の後、
聞こえてきたのは
突発的な嗚咽でした。


意識では抑えることのできない
存在の根源からの叫びのような…


でもすぐに何も聞こえなくなって
次に声が聞こえた時には普通の様子に戻っていました。


びっくりしました。
ちょっとやってみたことに
こんな反応が返ってくるなんて
思ってもみなかったことでした。 


その時はその言葉の威力にびっくりして
私という存在は
母にとってはそういう特別な存在なんだなと
思いました。


この出来事は
今も強く印象に残っているのですが、
でもたぶんそれだけじゃなかった。


母はそれまで、
家族に愛情を投げかけても
素通りしたり肩透かしをくらうばかりで、
どんなに循環を望んでも
純粋な形では起こらなかった。


そしてあの時、
初めて循環が起こったように
感じたんじゃないかな。


あのお母さんの叫びを、
その場でしっかり受け止めて包むことができたら良かったな。


7月の母からの電話の後、
自分でも不思議ですが
私の中に種というかスイッチが入ったようになって、
取り組む元氣が湧いてきて、
母の苦しみについて勉強をしていました。


自分の苦しみを話すこと、
それを受けとめることには
特別な力があるのかもしれません。
 

数日後、
電話をすると両親はすっかりケロっとして、
「畑で採れたトマトを送ろうか?」
と言いました。


その様子のあまりの変わりように
ついていくことができず、
すごく悲しくなって泣きました。


やっと母の本当の氣持ちを聴けたこと、
そこに対して取り組んでいた時間は
とても幸せでした。

母のためのようでもあるけど
取り組むほど私自身が癒されていくことに
驚いてもいました。


それがまたなくなってしまうような感じが
したのです。


そうとは知らない母は、
「トマトはどうする?
トマトはいつ送ればいい?」


私は全く別のことで満たされていて
トマトを喜べる心境ではないのに
その話をやめませんでした。


「なんでトマトトマトって言ってるのよ!!
 私はそんなの望んでいないの!!」


トマトなんていらないから、
お母さんにつながっていたいんだ!
とは言えない私…


身内が相手だと
どうしていつもこうなってしまうのか。
本当の氣持ちをその場で言えたらいいのに。


母がなだめようとしても聞かない私は
聞き分けがない子どもだなと
自分で思っていました。


でもトマトを送るというのは
両親が私に投げかけてくれている愛情だと
わかっていました。


せっかく投げかけてくれているのに、
また受け取れないな…

いつも私たちは、
お互いに受け取れないところに
愛情を投げているんだ。

泣きながら思っていました。


私が断った形になって、
電話の向こうの両親はがっかりした様子で
電話を切りました。


その後もそのことが気になっていて、
次の日、両親の愛情を
自分から受け取りに行きました。


シンプルに電話をして
「やっぱりトマトを送って」と言っただけです。


母は、私がトマトなんて望んでいないと言ったことをそのまま素直に受け取ったようで、

「あんたがいらないって言うから
近所に配ってしまったよ」と言っていました。


でもトマト1個だって
何もなくたって良かったのです。


受け取り損ねた両親の愛情を、
自分から受け取りに行くこと自体が
私にとって大事なことだったから。


それでも残っているものを
いろいろと送ってくれました。


 トマト、茄子、ピーマン、じゃがいも、
ささげ、保冷剤(暑い時に手ぬぐいでくるんで首に巻くようにというメッセージつき)、手紙。


なんだかすごく嬉しくて、
初めて写真を撮ってしまいました。


対話。

もし私に対話に関する知識や経験がもっとあって、
どんな反応が返ってきても変わらず
対話にとどまる強さがあったら、 
こんなに何十年も苦しまないで
さっさと次のステップに行けたのかもしれません。 

でも今はためらいも違和感もなく言うことができます。


お母さん大好き!


最近は母は電話で
「紫ちゃんには本当のことを言ったほうがいいみたいだから…」と言って
(そうそう!わかってもらえるまで長かった😵)

血圧が上がると死ぬんじゃないかと思って怖いという氣持ちがあるとか、

歯が弱くなってきたけど抜きたくないとか、

突きつけられたら本当に怖いだろうなというようなヘビーなことを言ってきます。


そのたびに私はビクッとしますが、
それは母が実際に日常で感じていることなので、それを言ってもらうことは私が望んでいることです。


医療に関することは間違ったことが広まっているところも多いようなので、
無理のない範囲で勉強してこんな考えもあるよという感じで伝えたり、
それ以上は委ねるのがいいかなと今のところ思っています。


怖さとか苦しみでなくても良いのですが、
実際に感じていることを言ってもらって、
それを受け止めて共感している時は
母と響き合っている感じがします。


今まで見えなかった本当のお母さんが見える。


母が話す内容というよりも、

今までの人生でいろんな経験をして
いろんな感情を味わってきた一人の人間である
この人の存在の全て。


その背景を背負って
今私の前にいる母が現すことに
共感して受け止めたい。


私、この領域で身内と響き合うの、
初めてだな…


意図していないのに
自分が癒されていくのを感じながら、
それを不思議な氣持ちで見つめている私。


私の中の、
長い間暗いところで固まっていたところに
光が当たって

それがゆるんで溶けだして

気体になって

煌めきながらゆっくりと上昇していくのを

何もかぶっていないこのままの私が
眺めているような…


おめでとう…

     おめでとう…

              私…


「癒される」ってこういう感じなんだ…

深いところから感動が広がっていきます。



大事なことは、
この取り組みは母のためにしていることではなくて、
「自分を満たすことだ」という実感が
私にあって、
それが母のためにもなっているということです。


そして2月に佐藤初女さんの言葉を知ってから、
「生きることは祈り」と言える人生って
どんな人生なのかなと思っていたのですが、

この点において、
私の人生は祈りと言えるかもしれないと
思っています。


今私が自分の中心にいることが
自分を癒すことになって、

母を癒すことにもなって、

そこで起こる循環は父と弟、祖父母、
もしかしたら私が知らないご先祖さままでも
巻き込んでいく。


そんな氣がするけど、
まず今は母と対話することを
丁寧にやっていきます。


ひとまず終わり!🙌

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