中心でつながるために①

7月が終わるころ、電話をくれた母は
いつもとは様子が全く違っていました。
わんわん泣きながら今の苦しい心境を話した後

「コロナになって死んでもいいから帰ってきて!!
お母さんと仕事とどっちが大事なの!!」


そんなことを言うんだ、
と思って笑ってしまいましたが、
知っている言葉を使って、一生懸命に気持ちを表現したんだなと思いました。


苦しみの話だったけど、
お母さんが
本当の氣持ちを伝えてくれて、
嬉しかった。


私の家族は、亡くなった祖父母も含めて、
本当の気持ちをそのまま伝えるということを、
そもそも知らないのではないかと思います。


私が子どもの頃から、家族の中で気持ちを伝えることに近いことといえば、
怒りをそのままぶつけ合うことが多かったような気がします。


自分につながって真剣にただ氣持ちを伝えることなんてなかったんじゃないかな?


だからずっと、
うちの家族には心のつながりとか
強い絆というものがないなと思っていました。


私は人と関わることがとてもヘタ。
親友も仲間もいたことがありません。


それなのに私が本当にやりたいことは、
深いところで人を癒すこと。


自分でもときどき、
家族ともつながっていないのに、
人を癒すなんてできないんじゃない?
と思っていました。


そして、一人でいることは寂しいと思わないけど、
信頼し合える仲間がいる人はうらやましいと思っていました。
吉祥寺の教会で見せてもらった、
宣教師さん同士の関わりや家族の関わりも。


そのこともあって、まず両親とつながろうとしました。
20代の終わりくらいの時だったと思います。


どうやったら良いのかわからなかったので、
まず私がその時思っていたこと、
考えていたことを話してわかってもらおうと
しました。


でも、感受性が強くて基本的に深く潜っている私の話は全く通じませんでした。


私にとっては一生がかかっているのでものすごく真剣なのですが、のれんに腕押しという感じで伝わらないので、半端じゃなくガッカリしていました。


そのことや、話していると涙が出てきて私はよく泣いていたのですが、


そうすると母は話題をかえようとするので
私は、今話していることを受けて止めてもらえない悲しみからくるものすごい怒りが爆発したこともありました。


真剣だから精いっぱい投げるけど
そのエネルギーは受け止めてもらえるどころか
どこにも当たらなくて、
行ったきり戻ってこなかった。


両親にすら自分の話が通じない=誰とも中心で関われない
と思っていたので絶望的な氣持ちになりました。

何度かやってみましたが毎回同じで、
その度にふらふらになりながら泣いていました。


話が理解できないならせめてわからないことを認めて、
私がいつもそういうことを考えているということを認めて欲しかった。

とっくに大人なのに甘えているけど、
親には精神的に包んでいて欲しかった。


かなりお互いにダメージが大きい時期でした。


完全に私のタイミングで実家に帰ったり電話をかけたりしていたので、
親にとっては、突然潜っている人間の話を聴かされて泣かれて困る気持ちもわかりますが…


そんなことを何回か繰り返していた時期があって、
だんだん、両親は本当に私が言っていることがわからないのだということがわかってきて、
私の望みのために親を苦しめて良いのか、
じゃあ人とつながるためにはどうしたらいいの?
という葛藤が出てきました。


両親と、誰かと、
お互いの中心でつながるという望みを
諦めないといけないんだろうか…


実家に帰っても、
両親は私が居るだけでOKという感じで、
それはありがたいことだけど、
私は話をしたかった。


でも会話はいつも日常的なことばかりで、
内面を垣間見るような話は聴けず、
私の内面にも興味を持ってもらえず、
自分がどんどん薄まっていくようで、
帰るたびに虚しさを感じていました。


私はただ居るだけの人間じゃない。

日常の中でも内側ではいつもいろいろ感じながら
学びながら生きているんだ!

そここそが私なのに、
そこを見てもらえなかった。

体が近くにあるだけで
本当に出会うことができなかった。


存在を感じる方が孤独。

どうして私はつながれない家族の中に
一人で生まれてきたの?

自分の感受性の強さがつらい。


あのころは教会だけが救いでした。


その後、
実家に帰ったときに家族のアルバムを
両親の独身時代や子どものころの写真、
母の両親の結婚写真なども含めて全部見ては
そこから受け取ったものに深く感じて泣く時期があって、
そのころみつけた両親の写真。


30年以上前、実家の裏の神社の草の上、
両親が並んで座って笑っている。
その写真を撮ったのは私か弟かはっきりしませんが、
カメラを向けた子どもに対して笑っているのです。


私はその写真が大好きで、
私が死んだら一緒に持って行くんだ!と思っていました。


2019年2月に参加した死と誕生のワークショップで、
森の中でのセレモニーのとき、
私が苦しんでいた葛藤の話や、
「両親には話が通じないけど二人の笑顔が大好き」という話をしました。



そしてその写真を上着のポケットに入れて、
静かな森の中、
私は落ち葉と枝で埋葬されたのでした。



また続きを書きます。

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