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『ザ・ユナイテッドステイツ vs ビリー・ホリデイ』


最近、俄かにブラックライヴス・マター(どう翻訳するかが難しい)と叫ばれ、白人の黒人(有色人種への差別、「白色」だって色だと思いますが)が、まだまだ残っていることが露わにされた感じがします。
 
それと時を同じくするかのようにLGBTQや性的少数者への差別、また様々なハラスメントがクローズアップされています。日本も外国人差別やヘイトスピーチなどがあります。それぞれ、人間に優劣をつけ、劣等とされた者(少数者)を排斥することに行き着くような気がします。具体的には「居場所を無くす」ことに行き着きます。
 
ビリー・ホリデイという黒人歌手がいました。彼女は、黒人差別が当たり前であった1940年代50年代のアメリカで活躍したジャズ・シンガーです。その代表曲は『奇妙な果実』というものです。それは木の枝にロープでぶら下げられた黒人の死体のことです。つまり、白人からリンチされ、殺され、ロープで首つりにされ、ぶら下げられる死体です。
 
ホリディは『奇妙な果実』を自由に歌えず、ニューヨークのクラブに出演することが出来なくなりました。そこで、彼女はバスに乗って南部の各地を回ることになりました。その時、彼女は、たまたまだ幼い二人の子の泣き声を聞きました。何だろうと思って、その泣き声がする方に行ってみると、泣き喚く2人の小さな子どもたちの視線の先に「奇妙な果実」がぶら下がっていたのです。
 
その果実を抱きしめつつ何とか下ろそうとしている父親に、子どもたちが泣きながら叫ぶのです。「パパ、早くママを下ろしてよ」と。その情景を見た彼女は、どうしようもない程、激しく取り乱しました。
 
彼女は、これまでも白人からの差別と闘ってきました。そして、様々に差別され屈辱を感じつつ歯を食いしばって生きている同胞の黒人から「あなたのやっていることが、私たちに対する差別をもっと酷くすることが分からないのか」という訓戒を与えられてきました。
 
そういう生活の中で、酒の力を借り、覚醒剤の力を借り、性の力を借りてきました。現実が過酷だからでしょう。一時、現実逃避をしなければ厳しい現実世界に向かい合うことが出来なかったのだと思います。
 
また、彼女の母親は娼婦であり、彼女は恐らく10歳ころに娼館で客からレイプされたのです。母親からは、その頃から売春を強要されたようです。そういう例は他にもあります。
 
男の性的な快楽は一瞬です。しかし、その一瞬の快楽にひきずられる惨めな奴隷になることが、よくあります。
 
その快楽に利用され、使い捨てられた女性は、その後、ずっと苦しめられます。自分で自分の価値を認められず、自分は汚れた者だと卑下し、投げやりになってしまう。彼女が逃げたかった現実には、そういうものもあったでしょう。
 
人種差別や性的虐待の根っこにあるのは、相手も同じ神の被造物としての人間だという人権感覚の欠如です。そういう意味では、優越意識をもって差別している人間は、知らぬ内に自分を汚しているのです。「ここはお前のいるところじゃない」と言いながらです。
 
でも実際いなくなったら困るのです。排斥しつつ、自分の存在価値を確認するために、実は利用しているんだと思います。
 
枝にぶら下げられていた奇妙な果実には「こうして正義が貫徹された」と記された紙がぶら下げられていました。一人の黒人女性を集団でリンチして殺し、死体をぶら下げた人々は、「自分たちは正義を行っているのだ」と思っていたのでしょう。そうでなければ、こういうことは出来ません。しかし、こういうことをするのが「正義」なのでしょうか。
 
ホリディは差別、抑圧に対する抵抗を止めません。愛に縋り、アルコールに縋り、薬に縋りつつ歌い続けます。そして体を壊して入院し、そこで息絶えます。その遺体の足に手錠をかけられるのです。それが規則なのでしょう。地上では、その様にして「正義」は貫徹されるのだと思います。
 
「ここはお前の住むべき場所ではない。お前の居場所ではない。」人間が人間にそういうのですし、そうやって排除するのだと思います。
 
今年の2月から始まったロシア軍のウクライナ侵攻も根は同じだと思います。

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