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『流浪の月』

『流浪の月』2022年

私たちは、誰にも知られたくない秘密を持っている場合があります。言うまでもなく、それはその人がその人らしく生きることに物凄く影響を与えるものです。

小学4年生の更紗(さらさ)は父が死に、母は新しい男性と暮らすことになり、叔母の家族と暮らすことになります。しかし、叔母たちが寝静まると、その家の中二の男子が彼女の部屋に来て、体をまさぐるのです。

更紗が「やめて」と言っても止めてくれませんし、厳重に口留めされてしまうのです。彼の立場に立てば、当然と言えば当然でしょう。しかし、ただでさえ弱い立場の更紗の立場に立つ人はいません。もちろん彼女は、秘密は守らざるを得ません。その様にして、更紗は、どんどん自分の居場所が奪われてしまいます。

更紗にとって、叔母の家は一息つけるところではなく、叔母たちが寝静まる時間は彼女にとって安眠の時ではなく、悪夢の時でした。彼女は何度も何度も眠りながらうなされるのです。だから彼女は、学校が終わっても家に帰りたくはなく、木陰で本を読んで過ごすことが習慣になっているのでしょう。

ある日、その様に本を読んでいた文(ふみ)という青年が、雨が降って来ても家に帰ろうとしない更紗に向かって「家に来る」と言いました。叔母の家には帰りたくない更紗は、文の家に行くのです。

しかし、それはロリコン男の誘拐事件となり、世間を騒がすことになります。

そんなこととは知らない文は、更紗を寝たいだけ寝かせます。時に彼女はうなされます。自分が性的営みの対象として弄ばれたことが、彼女には根深いトラウマになってしまいました。様々な意味で弱い立場に置かれて、彼女は苦しまざるを得ません。

この段階では分からないのですが、文は、ロリコンではなく男性機能が成長しない障害があるようです。女性に性的な魅力を感じないわけではないようですが、身体的に結びあうことは出来ないのです。そのことは、決して知られたくはないことだし、彼の深い苦しみであるに違いありません。

更紗が警察に「保護」される時、更紗は泣き喚き、文は呆然としながら「更紗は更紗だけのものだ。誰にも自由にされてはいけない」と呟くのです。そして、文は「ロリコンの誘拐犯」として逮捕されます。他人は、他人から見たレッテルを張ります。

長じて後、更紗は同棲し、求められるままに相手とセックスもします。でも、彼女がトラウマから解放されていた訳ではありません。また同棲相手は、更紗のような親がおらず逃げ場がない女性を選び暴力を振るう男であることが、男性の実家に連れられて行った時、男性の妹の言葉から知らされます。更紗も時に暴力を受けていました。

そして、更紗のバイト先の同僚のお子さんを2~3日の間与ることになったのですが、結局、同僚は沖縄旅行に行ったきり帰って来ないのです。

そして、ひょんなことから更紗は文が喫茶店でコーヒーを淹れていることを見ることになります。当初は、お互いそのことに気づいていないことになっていますが。

文は「ロリコン男」というレッテルを張られています。そのレッテルは消えることなく、今も張られています。ネットというのは恐ろしいものであると思いますが、それを使い、人を裁く人間こそ恐ろしいのだと思います。

更紗が預かっている女の子を、今ではお互いのことを知っている文も面倒を見ているのです。でも、彼が勤める喫茶店も「ロリコン出ていけ!」みたいな落書きがされ、自宅があるマンションのポストも同様のチラシが入れられるのです。もう絶望的です。

彼には彼の悪夢があります。中学生の頃、彼の母親が庭に植えたけれどちゃんと育たない木を抜いて、「はずれ」として捨てる姿を見たのです。彼にとって、それは決定的な、そして象徴的な行為でした。自分も、親から「はずれ」として捨てられたと思っているのです。

実際、彼は母親に「ちゃんと僕の目を見てお前を捨ててはいない」と言ってくれと言うのです。しかし、母親は彼の目を見ません。見れないのです。彼女の気持ちを考えると言葉もありません。

でも、何時まで経っても性的に未成熟なままであることに苦しみ、そのことを誰にも言えず、自分を産んだ母親に「はずれ」とされ、捨てられてしまう彼の悲しみは、私などの想像を越えるものです。

文は、そのことで自分の居場所を失います。自分は何のために生まれたのか。自分の生きる意味は何か。そのことを少しも見いだせないのです。

彼は、更紗の同僚の子をさらった「ロリコン野郎」として再び逮捕されます。一度目の逮捕から釈放されて以後、彼は母親の下で2年ほど監禁されていたみたいです。二回目の逮捕と釈放後、彼は更紗と再会します。

その時、更紗は警察に保護?され、尋問された時、叔母の家で中二の男にされたことを言えなかったことを告白し、それが文をロリコン男にしてしまったのだとずっと苦しんできたこと、そしてトラウマ故、男女の肉体関係は苦手であることを告白します。

映画の最後で、薄暗闇の中で、文は更紗の前で全裸になり、これまで誰にも言ってこなかった自分の性的な障害を彼女に告白します。

私たちは、自分のことを知っている人、そして自分を受け入れてくれる人といると安心します。言ってみれば、そういう人を探しているのが人生だとも言えますし、そういう人と出会うか否かに人生は掛かっているとも言えると思います。

恐らく多くの人が、人には言えない秘密があり、実は内ではその事に悩み、苦しんでもいると思います。秘密は大事です。人に言えば良いというものではありません。

しかし、仲が深まって来た時、「この人に秘密を知られてしまったら捨てられる」と思うとすれば、その人の前で秘密を持っていることは不安を呼び起こすものになってしまいます。

文と更紗はその秘密、苦しみ、悲しみを共有してくれる人とこういう形で出会ったのかも知れません。今後も一度張られたレッテルは、ネット社会の中では、いつまでも張られたままでしょう。

「他人の不幸は蜜の味」とあるように、私たち人間は「蜜の味」に群がり、そこを居場所にする傾向があります。そういう社会の中で、文と更紗は、秘密を共有できる唯一の人と出会ったのだと言うべきかもしれません。

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