見出し画像

子らが踊る勇壮&華麗な「原体鬼剣舞」

「種山高原」の東南にのぞむ。

奥州市江刺区「原体(はらたい)地区」

そこに奥州市江刺区「原体(はらたい)地区」がある。

130軒ほどの家が点在する静かな農村地帯

130軒ほどの家が点在する静かな農村地帯だ。

踊り手の子ら

この地に岩手県の代表的郷土芸能「鬼剣舞」の中でも踊り手が子供の「原体剣舞」が受け継がれる。

子らが躍る「原体剣舞」

伝承の代表宅には羽根を剣舞の頭に被るまたい装束に使うため「東天紅鶏(とうてんこう)雄」が飼われていた。

「東天紅鶏(とうてんこう)雄」

「原体剣舞」の由来は11世紀の奥州藤原氏初代清衡が戦果に没した一族の追悼のため創られたと伝わる。

戦果に没した一族の追悼

「原体地区」では現在もお盆などで死者の霊を弔うために踊られるという。
 
賢治は大正6年(1917)盛岡高等農林時代に地質調査のため種山高原に訪れた際立ち寄り「原体剣舞」を初めて観て深い感動を覚えた。
 
それから5年後に賢治の詩「原体剣舞連」が生まれる。

賢治は踊る子供たちの体に風や雲のエネルギーが乗り移ることを心から願っていたに違いない。
 
その勇壮&華麗な踊りをまずは賢治の詩を詠みながらじっくり体感してみよう。
 
<原体剣舞連>
 
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
こよひ異装のげん月のした
鶏の黒尾を頭巾にかざり
片刃の太刀をひらめかす
原体村の舞手たちよ
若やかに波だつむねを
アルペン農の辛酸に投げ
ふくよかにかゞやく頬を
高原の風とひかりにさゝげ
菩提樹皮と縄とをまとふ
気圏の戦士わが朋たちよ

青らみわたる顥気をふかみ
楢と椈とのうれひをあつめ
蛇紋山地にかゞりをかゝげ
ひのきの髪をうちゆすり
まるめろの匂のそらに
あたらしい星雲を燃せ
dah-dah-sko-dah-dah
 
(以下略)
 
なお、この「原体剣舞連」は賢治の生前に唯一刊行された詩集「春と修羅」に収録されている。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?