藤原・物部・秦氏

日本史を藤原氏&物部氏&秦氏の繁栄から眺めてみたい。  

「日本史上“藤原不比等”は最大の政治家である」と哲学者故“梅原猛”氏はいう。

不比等は鎌足の子でわが娘を皇后へ次々と送り出し、日本の2千年超に及ぶ「“万世一系”の天皇家」の礎を築いた希代の戦略家である。

不比等の子らも父の意思を受けて南家、北家、式家、京家の四家を興し、日本最大の藤原氏の繁栄の祖となった。

この藤原氏の硬軟巧みな戦略は、日本の神武以降の初期天皇家を支えた物部氏、また応神天皇と共に朝鮮半島から渡来し以降故地バビロニア王国等を手本としながら天皇家や寺院の諸制度を創り上げ、日本国繁栄の礎を築いた秦氏も到底及ばなかったのである。

しかし、物部氏も秦氏も権力闘争敗退後はその要因を冷静に分析しながら、都の藤原氏の繁栄を横目に、互いに協力しあいその生き残り戦略を模索し、特に地方において活路を見出す道を選んだ。

それは図の「民俗学伝承ひろいあげ辞典 秦氏の分布図」からも十分うかがえる。

九州・中国・四国・近畿・東海の西国はもとより関東・信越、そして東北各地における健闘にも拍手を送ろう!

この図をじっと眺めて観ると、各地元での物部氏&秦氏の今日までの活躍にみなさんもきっと気づくに違いない。

さて、江戸末期にこんな歌が流行ったことはみなさんご存知であろう。

「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに食ふは徳川」がそれだ。

これを上記に当てはめて詠み直してみると・・

「物部がつき 秦がこねし天下餅 座りしままに食ふは藤原」となろうか・・・。

0af 秦氏分布図


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