仙台藩片倉家は物部守屋氏末裔

写真は宮城県南刈田郡に聳える白石城である。

刈田郡の刈田は地名研究家によれば古語はカルタといい「鉄の産するところ」を意味するともいう。

この刈田郡はわが故郷“和賀氏”の最初の所領地でもあった。

和賀氏が北へ所領替えしたのは、きっと更なる①鉱物資源と②名馬と③雪国の美女“和賀小町”\(^o^)/を求めたに違いない。

ちなみにわが母方の先祖は中世、和賀氏の守護神“日本武尊&白鳥大明神”を現蔵王町の刈田嶺神社から分掌し、和賀岩崎城に祀り、1601年和賀争乱による岩崎城落城前夜現北上市和賀町横川目菱内へ同刈田嶺神社として遷移したことを付記しておこう。

さて、仙台伊達家の重臣として仕えた片倉家であるが、その先祖は6世紀末の蘇我氏との廃仏論争で敗退し信州伊那市高遠町藤沢片倉の地に逃れ神官守矢氏に入った物部守屋氏の末裔とのことである。

そういえば私が仙台で現役の頃、高遠町出身の助役がおられたことをいま想い出す。

中世~近世、伊達政宗に仕えた片倉小十郎が幼少から互いに支え合って今日の杜の都100万都市を築く礎となったことは誠に感慨深いものがある。

0am 白石城


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?