悪夢の話

久しぶりに実家の夢を見た。
たいして面白くもない夢の話である。

月一回ある宗教の行事が実家で行われていた。神棚がある座敷の一室、信者らが十数名あつまって父と祖父が騒いでいる。
現実に何度も起きていたことであり、私の記憶が混ざって出来た夢だったのかもしれない。

「早く連れてこい」

祖父がわざとらしく大声を上げる。無論、私を連れてこいという意味だ。

虚無にも似た不快感を煮詰めながら隣室で吸殻の入った空き缶を掴んでいる。
「お前もやらなきゃダメなんだぞ」
やって来た父に言われた。

宗教行事へ参加することの不快感はあまり共感されるものではないだろう。
例えるなら中学生男子がふざけて友人の股間を掴むような、しかし掴まれた方は内心不快感を覚えているような、その手の感覚。
おふざけなら多少許せるが、生活や夢を人質に股間を触られるのは思い出すだけで死にたくなる。
これは穢れだ。傷は治るし汚れは落ちる、しかし一度受け入れた穢れだけは絶対に落ちない。

「これ捨ててきます」
吸殻の詰まった空き缶を見せて自分の部屋へ戻った。事を2分ほど先延ばしにしただけで何も解決していない。だがそういうことを度々やっていたのも事実だ。
抵抗を止めれば本当に死んでしまう。
耐え難い生活が自殺願望の背を押すように、穢れは緩慢な自傷行為を始める。殺したいほど穢れ切った自分への殺意を収めるために寿命を削ることで一時的な満足感を得る。
無意味に見える抵抗にはそれを抑える意味があったと思う。

自分の部屋で缶の中から吸殻をゆっくり取り出していると母と姉が私を呼びに来る。何を言うわけでもなく、じっとこちらを見ている。
今行きますと嘯いて扉を閉めた。

薄暗い部屋の中、ゴミ箱の前で立ち尽くしている。
行きたくない。
そう思っていると
「もう行かなくて良いんだよ」
と、誰かに言われた。

そっか、行かなくていいのか。
部屋の扉を開けるとそこは今住んでいる部屋だった。洗濯籠に詰め込まれた洗い物の中、職場でよく見る子猫が眠っている。
足音に気付いた子猫は飛び起きて逃げていく。
そこで私も目が覚めた。

やっと何かが終わったように思う。
実家に縛られていた過去の自分がようやく新天地の部屋へやってきたような気分だった。
家を出て半年。やっとだ。

「行かなくていい」と言ってくれた人は誰だったのだろう。
私なら自分にも敬語を使う。私ではない。

思い当たる人が居るとしたら一人。
中学高校時代のイマジナリーおっさんだ。

あの頃はよく憧れの大人を空想して心を保っていた。
喜怒哀楽が薄れて、最後に楽だけがうっすら残ったような大人になりたいと願い、そういうおっさんを思い描いていたのだ。
家族のようにはなるまいと、そう願っていたのだ。

精神的に実家へ囚われた自分を救ったのがかつて思い描いた理想の姿だったなら、或いは理想を思い描くという行為だったなら少し嬉しい。

やっと悪い夢から覚めた気がする。

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