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【空手の歴史編】空手の四大流派とは?

空手における”四大流派”は何でしょう?

このコラムでは、空手の四大流派のことをシンプルにまとめています。


空手に限らず、茶道や華道に始まり、柔道や県道の世界でも”流派”がありますよね。空手にも、ご存じの通り”流派”があります。

”流派”とは、Wikipediaによると『それぞれ異なる流儀を継承する集団』とあります。つまりは、流祖の思想や技術体系を伝承者を介して、後世にのこしてきた一つの流れです。

空手界における”流派”は、400とも、500とも言われています。


ただ、空手のルーツを遡ると、空手の流派の歴史を遡ると沖縄に源流を求めることになります。

もともと空手は、14世紀から始まった中国(明)と琉球王国の間の国交でもたらされた武術と琉球独自の武術「手」が融合して生まれたものとされています。

琉球独自の武術「手」には、「首里手」「那覇手」の2大潮流がありました。

そこから時は流れて、沖縄から本土に渡り、本土で普及させていくには”流派”を名乗ることが重要との考えから、多くの流派が誕生することになりました。

自らの流派のルーツと伝統を重んじる空手界では、それらの多くの流派の系統を辿っていくと、四大流派に分けることができます。

その四大流派とは、

松濤館流(しょうとうかんりゅう)

※松濤館流を差込

剛柔流(ごうじゅうりゅう)

※松濤館流を差込

和道流(わどうりゅう)

※松濤館流を差込

糸東流(しとうりゅう)

※松濤館流を差込

となります。


【まとめ】
・空手は、中国(明)の武術と琉球王国の《手》が融合してできたもの。
・琉球王国の《手》には、『首里手』と『那覇手』があった。
・本土に渡って流派がワサワサ生まれたけど、その源流は四つの派に辿り着く。
・四大流派は、松濤館流、剛柔流、和道流、糸東流である。



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