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『東海道金谷ノ不二』−人足さん、波の中で生きてます。−『富嶽三十六景』
今日はお散歩日和だったのでたくさん歩きました!およそ二万歩!
コロナ禍になってからよく歩くようになって出かける日は一万歩歩かないと気が済まなくなってしまっています。歩かない日は100歩とか普通ですが、一度目の緊急事態宣言の時は毎日一万歩歩いていました。おかげで食べすぎたなーって思う週もそこまで体重が全く増えていなかったりするのでいい習慣がついたなと感じます。
そんな歩きまくった日も葛飾北斎。『富嶽三十六景』の「東海道金谷ノ不二」です。
史上最強に人が動いている絵だと感じます。水の動きは浜から沖まで大きな波が荒れている様子がわかります。手前に松の生えた丘がありますが、海のどういう配置なのでしょうか。海の中で箱を大人数で運んでいますが何かの儀式か行事でしょうか。足がつかないような深さのありそうな沖まで人々が出ていますが心配というか、今は見ないものなので気になりますね。全員半裸です。奥の黄土色の丘みたいなものが線が引かれていますが、畑なのでしょうか。海岸から村までも距離がかなり短いことが気になります。少しでも高い波が雨の日にでも出てきたら浸水してしまいそうなくらいですね。
金谷宿とは江戸から二十四番目の宿場町で静岡県島田市と大井川の西岸に位置している場所であると言います。
地図でいうふじのくに茶の都ミュージアムにあたるのかな?!
絵のように人々が水の中にいるのには訳があって、この大井川が幕府の防衛政策によって橋を架けることが禁止されていました。そのため川越人足を雇って人足の肩や連台に乗って川を渡らなければいけなかったようです。
やはり予想していたように雨の日の後では増水するため水が引くまで待つ必要があったようです。また、この大井川は東海道の中でも屈指の難所だったようで、
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」
という馬子唄が残るほどだったようです。
どちらの記事にもなぜ大井川に橋がなかったのか、橋を作らなかった理由、この馬子唄についての解説が載っています。
だから絵の中には人をおぶっていたり人の入った籠を濡らすまいと高く掲げている人々がいる理由がわかります。
大井川の川越はやはり浮世絵の中でも題材になることが多かったようですが、北斎もその定番に乗っかって描いています。北斎にしては珍しい。
この川は富士山よりもモチーフになっていますが、その波の強さと人々がしっかり力強く踏ん張っているのがわかる描写が印象的です。人々がいるところには白い飛沫が上がり、波が人の体に当たって弾いているということがよくわかります。波も一面ではなく山がいくつもできていることでなだらかではないことや波と波がぶつかっていることがわかります。
今日はここまで!
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