(上書き済み)『氷店』−かき氷の歴史は深め−『明治風俗十二ヶ月』
今日は旅の終わりで流石に寝たくて仕方ない日なので明日上書きします。
セコい手で連投をやり抜きます笑
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数日経ってやっと上書きします。
鏑木清方の「明治風俗十二ヶ月」、八月の「氷店」です。
女性がかき氷を作っているシーンですね。袖を捲って氷に布を当ててカップに削れた氷を入れています。かき氷機がまるで鰹節を削る機械みたいですね。瓶に入っているのはシロップでしょうか。当時は何味が流行っていたのでしょう。隣は洗い場でしょうか。カップがいくつか逆さまに浮いています。氷という文字が書いてある表示が吊るされています。ベンチというか座る場所の上に提灯と暖簾が風で揺れています。暖簾に描かれている青の模様がまるで海の飛沫のようでとても涼しい印象を持ちます。
清方の解説にはこうあります。
「川沿ひの柳かけに葦簾張の氷店 薄化粧の娘か赤い襷に からけた二の腕あらはに 玻璃盃に盛る氷の花 新月匂ふ 夏けしきてある 清方記」
この氷を削る女性は水色の前掛けが透けた素材になっているので着物の花火のような柄が見えています。周りの風景やモノからだけでなく、女性の装いとその素材からも涼しさが感じられるのがとても細かい描写ですね。
かき氷は明治時代以前にも存在していました。
かなり前にテレビで見たのが平安時代ごろにもあったモノであると言います。
かき氷を「あてなるもの」として、貴族たちが氷の冷たさに楽しみを見出していたために高貴なもの、あてなるものとして流通していたと聞きました。
「あてなるもの。…削り氷にあまずら入れて、あたらしきかなまりに入れたる。」
平安時代は氷が基調で、冬にできた天然の氷を夏まで保存したものがかき氷に使われていました。
冬にできたものを地下のしかも山のようなところで草の中になるべく解けないように保存されていました。そんなにも貴重なものを貴族は冬の楽しみとしていたので大変上品で高貴なものとされていたのです。
それがこの絵のように庶民に流通するまでおよそ1000年以上必要だったと言います。
この絵ではおそらく天然ではなく人工の氷で、庶民の手に届くようになったものであると言います。
氷を削るのに使っている鰹節を削るやつみたいなものは台鉋と言い、カツオ削りのようなものに脚がついています。
そこに女性が玻璃盃というソーダガラスで作ったかき氷専用の器に氷を入れています。
この器は当時玻璃盃というよりかは「氷コップ」と呼ばれていたそうです。
今回はかき氷という夏の風物詩について時代を明治時代以上に遡ってみました。
やはり日本の伝統食はちょっと前からのそれっぽい和風なものではなく、きちんと歴史あるものなんですよね。
今年はかき氷食べられなかったなあ、、、。なぜなら知覚過敏だから、、。
今日はここまで!
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