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『江都駿河町三井見世略図』−三井越後屋はもっと賑わってます!汗−『富嶽三十六景』

今日はある企業の面接でした〜!そこで浮世絵について多く話してしまいました、、笑。どう評価されたかはもうよしとして、言葉にするとなかなか頑張ったことをしていると感じて今日もまたモチベーションが上がっている次第です!それにしてもめちゃくちゃ疲れる、、。コロナ禍でオンラインで面接をした去年の人に話を聞くと一日に6社の面接をこなすことも可能だったといっていましたが、私には無理!笑。

今日も頑張りますぞ!葛飾北斎『富嶽三十六景』。今回は「江都駿河町三井見世略図」

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これもまた複雑な構造をしていそうですね、、。右の建物の尖った三角の屋根とそこから伸びる凧の糸と垂れ下がる凧の糸、そして富士山の三角形と左の建物の屋根の斜面。このいくつもの鋭角と直線が駿河町の快晴の中にリズムを生み出しているのでしょうか。そしてまた屋根の上で何か修復作業をする職人たちはとても危なそう、、。何か藁包を渡すのに投げて渡しています。屋根の奥から伸びる2本の凧の糸は富士山や空高くにある屋根とともに上昇志向を表しているようで縁起が良さそうですね。富士山の手前にある森にはいくつかの屋敷が屋根を見せていますが富士山付近のどんな街なのでしょうか。右の建物の看板には”現金掛け無し”?でも”直”という字もありますね。呉服屋さんのようです。左の建物は同じく”現金掛け無し”+”直”の文字と組物という文字。マークが三井のもののようですね。題名の”見世”ということから三井が経営している見世物小屋などを想像しましたが、店という意味であるのでしょうか。そしてまた略図という言葉が出てきました。浮世絵には”簡単に略した図”または”何か古い和歌などを元に描いたやつしたもの”という解釈のどちらかでしたね。今回は思い浮かぶ歌がないので前者な気がしますが、略したものでもなさそう、、!


駿河町とは駿河のことではなく、東京都中央区日本橋室町のことです。地名が丁度そこから西の方を眺めると正面に富士山を眺めることができることから富士山のある”駿河”をとったそうです。

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昨日見たところの北詰に近い場所でしょうか。

二つの屋根にある看板には”三井越後屋”という文字で、現在は三越と名前を改めて百貨店を営んでいますね。


文政十二年(1829年)に起こった神田佐久間町での出火で越後屋は焼失したと言います。

こちらのサイトには大変詳しく佐久間火事について記載があります。

ここで起こった佐久間町の火事は風により燃え広がってしまったようで、佐久間町はその責任から処罰の対象となります。その反省をもとに関東大震災では佐久間町でも出火がありましたが、佐久間町の人間は避難することなく消火に尽力したと言います。

その1829年に起こった火事の次の日には仮家普請が済んだことで三井越後屋は営業が再開されました。本普請が済んだのは1832年の11月1日のことでおよそ三年かかりました。北斎がこの絵を描いたのが1830年代ですので屋根に登って作業をする職人が描かれていることから本普請までの途中だったのではないかという指摘があります。

とはいえ、北斎は以前記事で紹介したように『東都浅艸本願寺』や、そのほか『東遊』「駿河町越後屋」でも屋根の上で作業する職人が描かれているので富士山と屋根を描くときに寂しいからと描いたのかもしれません。

『東都浅艸本願寺』です。↓

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こちらが『東遊』「駿河町越後屋」です。↓

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もしかしたら屋根の上下に職人を配置するのが好きなのかもしれないですね。


三井越後屋の下というのは大変賑わっているようですが、北斎はそれをあえて描いていません。確かに東遊では賑わいの様子が描かれていますね。またこうやって定番をあえてやらないスタイル。北斎スタイルですわ。

他の作者の三井越後屋の描き方はいかがなのでしょうか。

歌川広重『名所江戸百景』「駿河町」です。

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ほんとですね。人々が買い物や物売りをしている様子が描かれています。

歌川豊春『浮絵駿河町呉服屋図』です。↓

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こんなにも描いているのにもかかわらず、北斎はそれを描かないのですね。

それにしてもこの絵ではこんなに天井が高いですが本当に上に服を吊るせたのでしょうか。

歌川広重『名所江戸百景』「 する賀てふ」です。↓

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富士山が軒先の延長にそびえている気持ちのいい構図ですね。左右対称なのが清々しい!やはり人は多く歩いていてそれが一番の見どころでもあるような気がしてきますね。


ここまで三つの他の作品を見ていきましたが、右側に描かれる三井越後屋呉服店では左の組物屋と対称的に同じ建造物であることがわかります。

しかし今回「江都駿河町三井見世略図」で描く呉服店は屋根の三角=破風がこちらを向いています。本来ならば一つ目の「駿河町」に見られるように南を向いているようですが、北斎は東側に向けて富士山を見たときに正面に向くように描いています。

もちろんそこは北斎の特性から読み取れるもので、富士山と屋根の三角形を並べて描きたかったためではないかと推測します。


今日はなんだか長いものになってしまいましたが、色々な考察や観察を重ねることが楽しくなってきているゆえです。!

今日はここまで!

#葛飾北斎 #北斎 #富嶽三十六景 #江都駿河町三井見世略図 #三井越後屋

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