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『駿州片倉茶園ノ不二』−いつ?どこ?がおがお~ぶううう!

今日夜にやってた日光街道を辿るバス旅のテレビ番組がありました。19時からテレ東でやってました。日光街道の春日部から日光東照宮までたどっていましたが、街道の一部であるのにもかかわらずほんとに長い距離を歩いていました。

江戸時代の当時の人間は歩きで、しかも多くの荷物を抱えながら何日にもわたって歩き続けていたと考えると相当ハードな制度ですね。だからこそ宿場町を乗り越える達成感は大きいし、宿場でできる休息の喜びはひとしおなのでしょう。

とはいいつつも今日見ていく絵は特にどこかの宿場であるとかそんなことではないんですけどね。笑

葛飾北斎『富嶽三十六景』、今回は「駿州片倉茶園の不二」です。

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ここはほんとに広い茶園が広がり、その茶園で摘んだ茶葉をみんな籠に入れて小屋に運んでいます。こんなに広大な茶園、そして富士山との近さを考えると駿州の静岡県ですね。その片倉という場所?ちょっと疎くて、、。笑あまりこれまでに見ないほどの人間の生活感がある絵ですね。その人たちの生業がわかる絵は珍しく感じます。それにしても畦道のそばを流れる小川の波もなく澄んだ水が流れていますね。だからこそいいお茶ができるのでしょうか、お茶の名所の所以なのですね。そして富士山までの中景に何もなく麓から見上げることができるロケーションではきっとお茶畑で作業をしながらふと息抜きをすると聳える富士に癒されていたことでしょう。


この描かれている場所は片倉とありますが現在は片倉という場所はなく、静岡県中部であるというだけでそこにあるのかはっきりしていなかったそうです。

ですが、現在の静岡県富士市中野に片倉という地名がかつて存在していたことからそこではないかと推測されています。

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そしてこの北に三キロほど行ったところに大渕笹場という名所があるそうです。

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およそこんな位置関係。

大渕笹場とはこういうところであるようです。

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まさに!!ここに小さな小屋がいくつか点在していれば絵とほとんど変わりませんんね!

またもう一つの説としてこの近辺に静岡県清水市戸倉という場所があるそうですが、その戸を片と見間違えたのではないかというものがあります。

さて、なぜ片倉なのでしょう、、。笑


話は変わって、この絵では茶葉の色が薄茶色になっています。この色であると、摘むよりももっと前の時期である可能性が高く、摘みどきの4月下旬から5月上旬より前の三月とかでしょうか。ですが画面中央にある藁の笠がいくつも置かれているのを見ると秋ではないかと予想されてもいます。北斎が茶摘みの時期についての知識がないという可能性もあるが、あえて時期を特定せずに四季を、しかもオフシーズンの茶畑の様子を描いたのでしょうか。そんな都合のいい解釈をさせてもらいます。笑

馬に覆っている布にある印は「富嶽三十六景」の版元である西村屋与八の印が入っています。

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おんなじ印だ!


どこの場所なんだろう・いつの時期なんだろうという謎を残し、人々の生活だけは顕著に描かれているというアンバランス感を残しながらやるべきことを終えました、、。なんとももどかしい、、、けれど版元の印を入れているなんてなんだかロマンティックですね。恩返し的な意味があるのでしょうか。


今日はここまで!

#葛飾北斎 #北斎 #富嶽三十六景 #駿州片倉茶園ノ不二


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