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『信州諏訪湖』−富士の前に高島城を浮かせて−『富嶽三十六景』

なんだか気温の変化が激しすぎて体がついていかない〜。食欲もそこまでないから嫌ですね〜なんだか。そして大きめの課題をいくつか抱えていて西洋の美術が捗らない、、もどかしい、、。

そんな日々に変わらず食い込んでくる富嶽三十六景。だんだんどうやって調べ上げていくのか手順がわかってきて無駄な惑いがなくとてもスマートに?作業を進めることができてきました。

今日の葛飾北斎『富嶽三十六景』「信州諏訪湖」。

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大きな松かな、木が絵の正面に立っています。葉もそんなに生い茂っていないから奥の景色まで見通せますね。松が根を張っている岩にある小屋の屋根の尖り具合と岩の傾斜が山のよう。昨日の作品に似た構図かも、、?画面いっぱいに広がる諏訪湖は波も立たずにとても静かな湖面ですね。船が一艘渡っています。その奥に屋敷でしょうか。城のような骨格の建造物が見えます。付近の地帯には村が広がっています。その奥には富士山。横の山よりも奥にあるからだけど、小さく感じて雪をかぶっているのを認識できなければ富士とはわからないかもですね。


信州諏訪湖は現在もある湖ですね。

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こういう位置関係。そこまで遠くはないかも!おそらく諏訪湖の岡谷市方面からの景色であると推測!笑そりゃそうですね。


絵の湖左に位置する高島城であると言います。高島城は諏訪藩の初代藩主日根野高吉によって築城された城です。当時、絵のようにまるで湖から浮いているような場所に位置していたために”諏訪の浮城”と呼ばれています。

この城を描いている他の作品に歌川広重『富士三十六景 信州諏訪之湖』があります。

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こちら、富士山がど真ん中に描かれその左下に城が聳えています。この城は湖に浮いているようには見えませんね。

実は高島城は江戸初期までは浮いているように見えるのですが、それ以降は湖を埋め立てる干拓が行われたために浮城の面影はないようです。つまり北斎は浮城であった時の城を想像で再現していたということになりますね。

広重の作品の方が実際の風景に近い絵であるということです。


北斎の絵の手前にある小屋のようなものは、塩尻峠のあたりにある浅間祠ではないかと言われています。

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祠はいくつかあって、名前がついたままの祠の跡が出てこなかったのでおそらく上の地図の赤丸をしたところのどちらかではないかと考えます。高島城跡の位置的に。


このあたりの当時の地誌を参考にすると、秋里籬島『木曽路名所図会』に浅間祠についての記載があるようです。

「浅間祠 嶺にあり。鳥居たつ。此所より富士山の向い合わせなり。故に社あり。此所原山にして、樹木なし」

との記載があり、富士山の眺望がよかったことがわかります。


北斎はこの作品以外にも諏訪湖についての作品を残しているようです。

『勝景奇覧 信州諏訪湖』

↑悔し〜画像がない〜。あるにはあるけど持ってきていいものか悩む〜。

残念だけど場所わかったし、そこが富士見で有名だということがわかってよかった!今日はここまで!


#葛飾北斎 #北斎 #富嶽三十六景 #信州諏訪湖 #諏訪湖 #高島城


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