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『諸人登山』−主役は富士講?いやそりゃ灯台下暗し、、!
今日は昨日やめてしまった分の葛飾北斎『富嶽三十六景』のラストである「諸人登山」をやります。
早いなあとは思いつつも実は半分くらいになったあたりからあといくつだ、、あといくつだ、、とカウントしながら終わるであろう予定の日まで刻んでいました笑。
今回の「諸人登山」は富士山が描かれていないものです。この登山をしている人々は富士山に昇っているのかな?灯台下暗し的な絵なのでしょうか。山が非常に赤いですね。赤富士のズームしたところみたいな。当時は山道も今ほどしっかり舗装されていないのか、はしごしか道を導くものがありません。人々は杖を持って傘をかぶっていますね。みんな武者みたいな禿げ方をしていますが、武士なのでしょうか。左の方では何人か座り込んでいて休憩中でしょうか。右奥には違和感の残るほどの直線で画された洞穴に人がぎゅうぎゅうになっています。こんなに晴れているのに暗いところにぎゅうぎゅうになっているのは何かから逃げているのかと推測します。みんな下を向いているしね。
この絵は唯一の富士山を描いていない絵ですので何か特別な意味があると感じてなりません。きっと最後に持ってくるためのものであると思います。
絵の中に山に登る人々が目立ってしょうがないですが、これにはきちんと史実として登山している人々の意味があったようです。彼らは富士講という集団です。富士講というのは江戸庶民の中に広がっていた富士山信仰がありました。そこで行衣を身に纏って富士山で修行するとのです。
https://www.pref.yamanashi.jp/fujisan/documents/publicity_materials/documents/mtfuji_guidebook4.pdf
絵の人々は夏、山頂の噴火口を一周するお鉢巡りをしているところであるらしいです。金剛杖を使って懸命に崖を登ろうとしている人が腰を曲げてでも歩きを進めている人、疲れて座っている人、洞穴の中でぎゅうぎゅう詰めになっている人々がいますね。
山が赤くなっている赤富士は土が赤いというわけではなく、朝日がのぼり赤く写っていると言います。こんな朝早くから富士山の山頂に登ろうとするのはすごいと思いましたが、今でもご来光を望むために前日から富士山に入る人はいますしひとイベントとしてあるものですので、今も昔も変わらないのですね。
この描かれた場所は梯子があることから駒ヶ岳のあたりであると言われています。
梯子を登ったところに大日堂や石堂、石室がありこれまで何度か出てきた吉原宿と原宿を南側に望むことができたようです。
ここまでしっかりと実際の風景を描いている北斎は富士山に登ったことがあるのでしょうか。証拠は確かなものはないようです。
しかし『富嶽百景』という続編的な作品集でも富士講の人々を描くものがあるようです。
「不二の山明キ」(右)と「辷り」(左)という作品では富士講の人々が登ったり下っています。
「不二の室」では岩の洞穴にぎゅうぎゅうになっています。
「八界廻の不二」ではうじゃうじゃと人が山に張り付いています。
こんなにも富士講についてしっかり描いて何枚も作品を残しているのはやはり富士山だけでなく富士講をかなりモチーフにしたかったのでしょうか。
最後が富士山の山自体ではなく富士講で締め括るのがなんともいえないところですが、富士講の描き方の忠実さが顕著な作品でした。
『富嶽三十六景』はここで終わりですが今日以降も北斎はやっていきますが、ちょっと寂しい。
今日はここまで!
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