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平凡な自分を受け入れる

30代になって、自分の限界がいろいろ分かってきた気がする。
心と体の健康を第一に考えて、労働でメンタルをすり減らさないように、どうにか生活できる分だけのバイトをして質素に暮らしている。
ユニクロの服を着て、スーパーで夕食の買い物をする、刺激の少ない平凡な毎日。

敏感で不安を感じやすいメンタルの私には、きっとこれが合っている。
これからも平凡な毎日を淡々と生きればいい。
……そう思うのだけど、どこかで平凡を受け入れきれていない私がいる。
平凡が悲しい。

私は特別な人になりたかった。
憧れの漫画家、作家、ミュージシャン、「特別な感性」を持ったあの人みたいになりたかった。
「特別な感性」がこの世で一番大切なものだと信じていた。

想像の世界に没入して、内省を深めて、自分の感性を磨いた。
自分なりに磨いた感性を結構気に入っていた。
だけど感性を磨くほど、マイナスな感情も持ちやすくなった気がする。
だんだんと「不安」と「感動」の違いが分からなくなってきた。
弱い私はマイナスな感情に耐えられなかった。
特別を目指すことを少しずつあきらめて、平凡な毎日を選んだ。

平凡な自分を受け入れることは、一番大切だと信じて追い求めていたものを捨てることのように感じる。
だから悲しい。
自分のアイデンティティがなくなるようにも感じる。

……なんて大袈裟に書いたけど、これは「おばさんになって若い頃と感性が変わってきた」というただの加齢の話かもしれない。

特別な誰かに憧れたのも若い平凡な感性で、
私は平凡な人生の波にゆらゆらと流されているだけかもしれない。


 
そう考えると、平凡な自分を受け入れやすくなる。
今まで平凡なのだから、そりゃこれからも平凡だろう。
あきらめのような気持ちは、なんだか心を軽くしてくれる。

平凡な私はこれからもゆらゆらと、人生の波に流されていこう。
きっと平凡だけど、唯一無二の人生の波。
それを受け入れることが、大切なのかもしれない。


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