顔のない偶像には何を入れるべきか

入れるなと言うならば自分の顔を入れるべきだ。

とある宗教に顔のない偶像があるのはご存知だろう。(とあると書く意味よ)
あれには諸説がある物の大体は「姿ある神に祈ってどないすんねん」や「神には姿ないっちゅうねん」と言うのが大半である。
神に姿が無いのは当然だ。その心に宿る故に心が出すその姿は同じでも多様極まると言っていい。

お前の聖母は赤ちゃんプレイしてくれるんかぁ?

……極端だがそう言う物だ。同じ姿でも中身が違うことは往々にしてある物だ。
話が逸れてしまった。
顔のない偶像を知る彼らは自分たちの周りの人たちがより良くなるように様々な行動を起こしていると言っていい。

彼らは神の代行者……いや神そのものとして振る舞っているのだろうか。

顔のない偶像に自分を入れる=自分を神として扱って己が神の施しを、己が神の威厳を、己が神の神罰を。……言うなれば自分が神そのものだと言う。きっと彼らには相応しい物だろう。

・後書き
宗教戦争+ナノマシンという題材でネタを作っていた時に考えてみれば様々な宗教がありそれぞれ神の形があるのだなと調べて途中で見つけた物を考えていると顔のない偶像が顔出しパネルに見えてしまった。と言う物。

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