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「本を読んでいない人とは話ができない」は本当か

先日、Xで「本を読んでいない人とは話ができない」という内容のポストがバズっていた。そして、それに対する反応は軒並み肯定的なものであったことが深く印象に残っている。
このような、本を読んでいない≒勉強をしていない人々のことを軽蔑するような意見はあまり気持ちのいいものではないが、事実としてこういう主張をする人々には、勉強している人とは円滑なコミュニケーションが取れるが、勉強しない人とは取れないという実感があるのだろう。

これは、本当なのであろうか?また、本当だとしたらなぜなのだろうか?

『勉強の哲学』(文春文庫)において、著者の千葉雅也氏は勉強とは「いままでに比べてノリが悪くなってしまう段階を通って「新しいノリ」に変身する」ことであると述べている。

僕たちは、生活の中で様々な環境の「ノリ」に乗って生きている。ここでいう「ノリ」というのは、環境で人々が共同して生活できるような共通の了解のことである。例えば、僕たちは家族と接する時と友人と接するとき、そして上司と接する時はそれぞれ振る舞いが異なる。これは「家庭」「友人関係」「職場」というそれぞれの環境に異なった「ノリ」があって、その場に応じて「ノリ」を切り替えているからなのだ。

そして、この「ノリ」は勉強によって失われ、新しいノリへと移り変わっていく。僕たちは小学生の時、「うんち」や「おしり」などの単語が異常に面白かった。(今も面白いと感じるあなた!僕はあなたと「ノリ」があうようです)しかし、多くの人は大人になるにつれて社会でこのような発言が好まれないことを「勉強」し、下品な単語で笑うことに引け目を感じ、口にすることを躊躇うようになる。このように、勉強によって僕たちは下品な言葉が面白い「ノリ」から、下品な言葉を口にしないことを美徳とする「ノリ」に移り変わる。この時重要なことは、

「ノリ」が移り変わる時、前のノリは喪失する

ということである。つまり「勉強とは喪失すること」なのだ。

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