一路一想 #6
長岡市街から山古志へ入ってすぐの虫亀(むしがめ)集落に、「薬師の陵(やくしのおか)」という、見晴らしのたいへんよい高台があります。
春から冬の前まで植えられた花がそろって咲き、季節を彩ります。
この土地の所有者でもある 地域の住民の方が、訪れた人に喜んでもらえるように、花の手入れや草刈りを行うなど、この場所の整備に取り組んでいます。
写真は6月の風景を写したものです。芍薬やオルレアらのうた声が聞こえてきそうです。
目線の下には棚田棚池が並ぶ山古志の風景が広がり、それを見守るように越後三山(八海山・中ノ岳・越後駒ヶ岳)が並んでいます。
日の出が左手のほうから上がり、山に囲まれたジオラマのような庭が徐々に姿を現してくるようすをゆったりとした気持ちで眺めてみてほしいです。
美しい山古志の玄関口といえる景観だと思います。
昨日のこと。
この薬師の陵を整備している方から、悲しい話を聞きました。
昨日の朝に来てみたら、コスモスの畑の花が踏まれて倒れているのに気付いたそうです。
どうしようもなしに株ごと抜いたそうです。道の脇に花が置かれるのを見ました。
その話を聞かせてくださっている間も草をむしる手がずっと動き続けていました。
以前、「草取りなどを手伝いをやらせてほしい」と言ったことがあります。
そのときは「気持ちだけで十分」と返ってきました。
長い年月ずっと取り組んできたところに、たまたま居合わせた自分が加わろうとするのは、何だか図々しい行いである気がします。今もです。
山古志の人間でないことも遠慮の理由になっています。
考えた結果 出てきたのは「自分にできることをやり続ける」ということです。
言葉だけ見ればありきたりですが、続けることは難しく、だからこそ そこに意味があります。
薬師の陵が美しい場所であり続けられるように願い、ごみを拾います。
「訪れた人に喜んでもらいたい」という思いに寄り添い出来ることとして、私はごみ拾いを選びました。
そして、そこに通い、山古志の風景・山古志に流れる時間を見続け、感じる。
協力してやってくださる方がいれば、喜んで一緒にやりたいと思っています。
私の小さな決意です。