竹野内豊の“野”
竹野内豊(敬称略)はカッコいい。これは誰もが認めるところだと思う。「竹野内豊をカッコいいと思わない権利」は全ての人間が生まれながらに持っているが、それを行使する人はほとんどいない。
何をカッコいいと思うかは人それぞれで、世の中には様々な基準の「カッコいい」が存在している。そんな多種多様な「カッコいい」がちょうど重なり合っている部分に、竹野内豊は立っている。そんな印象がある。
では、竹野内豊の何がそんなにカッコいいのか。尋常じゃないくらいヒゲが似合うところだろうか。竹野内豊のヒゲの似合いっぷりは現代の科学では説明がつかない。ヒゲを生やしている人には必ず「よ〜し!今日からヒゲを生やすぞぉ〜!」と決意した日があるはずなのだが、竹野内豊にはそれが感じられない。そのくらい馴染んでいる。ヒゲが先か豊が先か、というレベルだ。
だがそれは竹野内豊のカッコよさの表面的な一部分に過ぎない。仮に竹野内豊がヒゲを剃り落としツルツルになったとしても、カッコよさの本質は失われないだろう。これはこれでいいね、となるだけの話だ。ツルツルの豊もいいよね、と。では、竹野内豊のカッコよさの本質とは何か。
それは「竹野内豊」という名前そのものだと思う。
竹(小1)野(小2)内(小2)豊(小5)。難しい漢字は一切使っておらず、小学5年で全てを習い終わるほどにシンプルだ。にも関わらず、堂々たる存在感を放つこの文字列。ありふれた漢字であるが故の強度と奥深さ。腕利きの料理人があり合わせの材料で作った絶品の一皿。それが「竹野内豊」という名前なのである。
そしてその漢字4文字の中でも、特に重要な働きをしているのが“野”だ。「竹内」というオーソドックスな苗字の間に入り込むことによって一気に重厚感を持たせるこの“野”。その役割は非常に大きい。竹野内豊のカッコよさを構成する様々な要素を繋ぐ中継点。竹野内豊のカッコよさを液状にして遠心分離機にかけると抽出される部分。それが“野”なのだ。
整った顔立ち、よく似合うヒゲ、抜群のスタイル、セクシーな声、優れた演技力、スーツの着こなし、嫌味のない性格……竹野内豊とは、これら全てをまとめて布で包み、最後にその口をキュッと“野”で留めたものなのである。
そんな“野”をもし買うことができるとしたら、あなたならいくら出しますか?
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