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授業料を無料にする意味を考える

2009年に開講した大ナゴヤ大学。2012年ごろまで、授業料(実費負担は除く)は、無料で運営していました。その後、運営体制が代わっていく中で、無料の授業を運営し続けていくことは難しいと判断し、授業料(現在は1,000円〜)をいただくことにしました。

大ナゴヤ大学の授業は、授業コーディネーターという役割のメンバーが企画から実現するところまでを担っています。基本的には、一人目の生徒として、自分が受けたい、知りたい、学びたいテーマで企画します。

自分の中に動機があるので、みんな本気でつくります。無料だからといって手を抜くなんてことはありません。

一方で参加する側の視点に立つと、有料にすることで、それぞれの中にあるお金の金額に対する価値尺度の中で、高いか安いかを判断して参加されてしまうことがあるのではないかと。金額以上に価値を感じる人だけがくる場になる。

それも一つのやり方だと思うのですが、続けていく中でどうしても違和感が在り続けました。その一つが、目的的な場になってしまっていないか?ということがあります。

偶然的な出会いの中で、自分の中にあった動機を見つけ、一人ひとりが行動に移していく環境をつくること大事にしています。授業料を有料にしたことで、自分の興味のないことや普段出会わない人と出会う機会や環境が減ってしまったように感じていました。(新しいコトが、関わるメンバー内からも生まれにくくなっていました)

授業のテーマも、お金をいただかないといけないので、どうしてもうけるものが中心になりがち。わかりやすくなるのですが、面白いことや意味や意義のあることを取り上げにくい。よくわからないけれど(←ここポイント!)、ここにきたら何か面白いことに出会えると思ってもらえる存在でありたいです。

一方で、有料授業をつくることも経験したことで、参加するハードルを上げて興味がある人にだけ情報を届けるという選択肢も持つことができました。(こちらの取り組みも続けてやっていきます。)

また、無料で開催する授業は、毎月第2土曜日と固定することにしました。(これも開校当初のカタチに戻しました。)毎月第2土曜日を楽しみに待ってくれる人が増えたら嬉しいです。

価値観が変化していく中で、このやり方でうまくいくかは、正直まだわかりません。でも、まずはやってみないとわからない。

1年後にどんな結果がでるか!?


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