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報告、連絡、相談

相談するってことが昔からまあ出来ない
そうなった原因もなんとなく思い当たるけど、多分そもそもの性格だと思う
一番古い記憶を掘り起こすと小学5年生の時、全員何かしらのクラブに参加しないといけなくてそれも友達と一切相談することなく家庭科クラブに入った。タダで料理し放題とのことだったので
中学に上がって部活を決める時も記入用紙配られて部活見学もせず即美術部と書いて提出したら担任の先生から親御さんに聞いてから出せって言われたな…そのまま机に入れて翌日見せたことにして出したけど
友達も美術部を希望していた子が何人かいたんだけど軒並み親から運動部に入るよう言われて従って、だいたいが早々に美術部へ転部してきたの見た時も「そらそうだろ」と思ったし二度手間だな…とも思った

その後の進学も就職も全部周りに事後報告
進捗報告ゼロ!社会人として終わってるコミュニケーション能力

今なら相談というシステムって誰かが正解を教えてくれるもんじゃない、というのは理解している
どんな悩みも最終的に何か決めるのは自分なんだから
結論を出す為に他の人ならどういう風にするかのシミュレーションを見せてもらうのが相談
しかしわたしは変に誠実なところがあるから相談したらその意見に従わないといけない気持ちになってしまう
相談してアドバイスもらったのに実行出来てないな…という罪悪感がすごい

人に相談した方がいいという助言を頂きまくったから、最近大きな決断をする際身近な人に相談しまくった
けどやっぱり最初に自分が出した答えと着地点は変わらなかった
相談はされた方にもストレスが掛かるってことも身に染みたし、なら一人で答えを出した方がよくない…?という気持ちがちょっとある…
非合理的なことも嫌いだけど、大事な人にストレス与えるのはもっと嫌い

前の記事にも書いたけど、頭の中で常に相反する自分がいるからA案を考えると即座にそのデメリットとB案を突き付けてくる自分がいる
もちろんA案を提案した自分もそれに真っ向から反論する
最終的にその話し合い(ずっと一人の)でいくつかの案の良いところを取って結論とする
何かに悩んだ時はいつもそうして答えを出して来たけど、もしかしてみんながみんなこうでは無いな…?
この行為がみんなの言うところの相談にあたるのかも

報告連絡相談ってビジネスでめちゃくちゃ言われてるけど、“報告”と“連絡”って意味かぶってない?
分からないので誰か教えてください

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