RUNなWAY

朝走るようになってから、この行為自体に体のスイッチを入れるみたいな感覚がある。

家で仕事をしているため通勤の習慣もなく、今までは起きてボケ〜っとした顔で仕事机に向かうみたいな毎日を過ごしていて、疲れているのか、寝足りないのかわからないけどスイッチが入らずに「気づけば夕方か〜」みたいなことがしばしばあった。

腰が痛いな〜と思って整体とかに行けば「運動不足」ですねと言われ、「やっぱそうすよね〜」とお決まりのやり取りをし、結局よくならないことを整体のせいにしてやり過ごしたり…。

自分の性格は自分がよく分かっているつもりだけど、「適度に運動してくださいね」と言われても、自分の気持ちとそのアドバイスが重なり合うタイミングでないとなかなか行動に移せない。

子育てをしてもつくづく思うのは「これをしておいたほうがいいよ」と伝えても、子どもはやろうとはしない。伝え方の問題もあるとは思うが「今それをすることを重要視していない(他者から見たらめちゃくちゃ大事なことだとしても)」という判断をしているのだと思う。なんでだろ〜とか思ってもこうして自分に当てはめたら同じようなもんだと諦めがつく。

それに「昔言われたことがこの歳になって分かるようになった」みたいなことは大人になると誰しもがあると思うけど、それも結局「タイミングが重なり合ったとき」なんだと思う。

そんなこんなで「朝走ること」というのは、今のぼくにとってタイミングがばっちりハマったのだと思う。

朝から疲れることをしたら一日の体力が持たないのでは?と思っていたが不思議と逆で、なんとなく一日を始めた日のほうが疲れているし眠くもなる。

二週間ほど前に足首を痛めてしまい朝走れない状況になって、スイッチが入らないだけで一日の色々なことがグダグダになってしまった。そうしたら毎日やたらと疲れていた。

走れないなら違うスイッチの入れ方を探せばいいやと思ってもみたが、そんなに器用な人間でないこともわかった。

前に膝を痛めたときに同じような状況になったので、ケガをしないように努めてきたつもりだったが結局ケガをする…。精神的に未熟だもんで前のめりにやってしまう悪い癖があるのは認めつつも、痛い目を見る経験をしないと何事もわからない性分ゆえに、あえて痛い目に遭いに行ってる節もあるなぁとポジティブに捉えている自分もいる。

ついつい見聞きした話で自分が経験したつもりになることも少なくないが、生身で経験をすることでしか得られないものはあるな〜と、またひとつ当たり前なことに気がつくのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?