未来警察ウラシマンのこと。

未来警察ウラシマンは1983年に放送されたテレビアニメーションです。
翌年の月刊アニメージュ主催のアニメグランプリは、一位が映画クラッシャージョウ、二位が超時空要塞マクロスで、三位が未来警察ウラシマンだったので、放送当時はかなり人気があったアニメーションです。
しかし個人的には、当時も何も2020年のいまでも、大野個人アニメグランプリではぶっちぎりの第一位です。
何がどう素晴らしいのかは、一言では言い表しにくいのですが、強いて言うと「真の優しさとは何か?」と言うことを、一年に渡って問い続けて来た作品だったから、ということになろうかと思います。


番組中、幾度となく主人公のライバル「ルードヴィッヒ」が口にする「優しさという仮面を被った軟弱者」という台詞。

これは、優しさと一見みえるものが、実はただの軟弱かもしれないということであり、そんな優しさは何の慰めにもならないという強烈な主張です。

真の優しさとは、強さを伴うもの。
軟弱なだけの者は、自分を守るのに精一杯で、自分を守るためには他人を裏切りもする。
しかし真の優しさをその胸に抱くものは、強く、また強くなければ人は優しくなれない。
このテーマは本当に泥臭く、これを正面切って描こうとすると、おそらく1983年当時であってもかなりもっさりした作品になったでしょう。
しかしそこを煌びやかなフュージョンサウンドに乗せ、明るい未来都市をバックに描くという手法で、見る者の心理的ハードルを下げ、真の優しさは強さを伴ったもの、ということを端的に分かり易く、時には分かりにくく描いたのが「未来警察ウラシマン」でした。

この、時には分かりにくく描く、というところがウラシマンの魅力の一つです。

難しいことを難しく描くのは野暮だけど、軽く流すだけでは済まないことどもが、この世の中にはある。

「未来警察ウラシマン」はこの世の中の裏と表をテレビアニメーションという媒体を使って、その限界まで表現しようとした作品です。
それが故に構成はちょっと変わってます。
主人公「ウラシマリュウ」は最後、元居た世界に戻らず、未来世界で生きていくことを選んで終わります。
そこには本当は還りたかった現実世界を諦めてまで、通し抜かねばならなかった彼自身の心の葛藤がありました。

そして彼、「ウラシマリュウ」は「優しさという仮面を被った軟弱者」ではなく、真の強さを持った本当に優しい人間であることを、己自身に証明します。

見て楽しい作品も良いですし、作り手のエゴが全面に出てる作品は鬱陶しい訳ですが、見て面白くかつ何か心に残るものがあればそれに越したことはありません。

「未来警察ウラシマン」はそんな稀有な作品です。




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