テレビアニメーション 設定制作のこと(原作とは無関係)その1

第1話の作打ちは、1992年の春だった。

その年のお正月は、まだ僕はラジオディレクターで、明治神宮で獅子舞をかぶって昼の情報番組で中継をしていた。

ラジオの仕事は面白かったけど、タツノコプロからの「真下耕一監督の新作が動くけど、大野くん、真下さんと仕事したいって言ってなかったっけ?」という誘いに、23歳の僕はふら〜っとなっていた。

真下耕一監督といえば、未来警察ウラシマンのチーフディレクターである。その人と仕事できる機会を提示され、自称世界一のウラシマン愛好家としては、どうしたものかと悩んでいたのだ。

このままラジオ局の下請けディレクターとしてのんびり生きていくか、中学生の頃からの憧れの人の下で一回思い切ってやってみるか。

どっちに転んでも分のない勝負だった。

ならば、好きな人のそばに一度行くのもありかな、ありなんじゃないかな、まちょと覚悟はしておけ。

という訳で、1992年3月下旬、住まいも向ヶ丘遊園から中野に移し、僕は下請けのラジオディレクターからテレビアニメーションの設定制作という、耳慣れない職種に転職した。

つづく

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