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I will not fly 証拠なき思い出

僕は東京のどこかの病院で生まれた…と思う。
病室で生まれたばかりの僕を抱えてる母の写真が一枚ある。
その一枚の写真でその場所がどこかは断定できない。
僕はどこで生まれたかなどという事に興味がなく、どこで自分の命が絶えるのだろうという方に興味がある。
生まれてから数ヶ月?数年?は神楽坂あたりに住んでいたらしい。
数枚の写真が証拠だ。
神楽坂での記憶は二つ、住んでいた部屋でのある出来事と近くにあったコンビニエンスストアでの出来事。
当時のコンビニエンスストアはまだ24時間営業では無かったはずだ。
一つ目の記憶。僕はその日の夕方留守番をしていた。
正確には留守番というより置いて行かれた。
たぶん母親は急ぎの買い物に出かけて直ぐに戻る気だったから、僕の隙をついて玄関のドアを閉め家を出たのだと思う。
僕は一人でいた。
しばらくして千鳥足でヨチヨチと窓に向かった。
低い位置にあった窓。近くにあった箱か何かを台の代わりにして登り、窓辺に立った。

母親は窓を閉め忘れていた。

風は吹いていなかった気がする。
住まいは3階か4階だったと思う。
高さがあった。
そこに運良く…運悪く…母親が自転車に乗り帰ってきたのが目に入った。
僕は一番の近道で母親の元に向かおうと思った。
下から自分の部屋を見上げた母は何かを叫びながら大きく手を振っている。
今思い返しすと飛び降りようとする僕を止めるジャスチャーだったはずだ。
僕は踵を返しヨチヨチとアンバランスに玄関へと歩く、出入り口は玄関の扉だと分かっていたと思う。
玄関のドアノブにはまだ手が届かない
そして扉が開くのを待った。
きっと母親は自転車を停めて階段を駆け上がる間どんな思いで走ったのだろう。
自分に子供ができ当時を想像すると身震いする。
扉が開き母は僕の名前を何度も呼びながら、少し怒り僕を抱きしめた。
その怒りは僕に対しでなく、自分自身に向いていた。

その夜、風呂桶とタオル持って近くにあったパンダ湯というあだ名の銭湯に行った。
湯上りの帰り道に立ち寄ったコンビニエンスストアに入ると、僕は坂本九の『上を向いて歩こう』を口ずさんだ。
カウンターの中にいた女性店員が
「上手ね〜」と褒めてくれた。

幼少期の神楽坂での2つの記憶はたった1日の出来事だったと思う。
でも、この記憶には何の証拠もない。
今日も何の証拠もない、いつの日か笑えちゃうような最高の一日を過ごす。

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