解離

迫害から学んだことは。全ての不調が迫害された過去に行き着く。だから暴力を恨んでいるし彼らを許すことはない。迫害を受けた後の僕、周りの人に迷惑をかけたと思う。眩暈がして向こうからくる人にぶつかったり。
久しぶりに家で映画を見たい。本も読みたい。自分の現実に起きた過去なんて忘れたい。それらの願いが離人症を引き起こしているのだとすれば。僕が離人症に縋り付く理由も簡単だ。
ここではないどこかへ消え去りたい。それが外国なのか霊界なのか他人の現実なのかは分からない。でも別の現実に憧れているのは確かだ。夢を見ながら自分の現実のことは忘れてこことは異なる現実感の中で過ごしたい。それは落ち葉の散る橙色の森林公園だったりする。雪に覆われたしんとした広場で灰色の影の人々と共に白い空を眺めることだったりする。あるいはどこまでも霧の立ち込める海岸。
一人の人間に一つの現実感があって、それらを好きなように擬似体験して回りたい。憑依するように。だから文学が部屋にあるし映画が街にある。音楽は手元に。美術館へ行かなくとも好きな絵を眺めることができる。誰でも離人症になれるのでは。人は何かしらの激しい苦しみを抱えて生きているから。みんな解離して仕舞えばいい。
こちらは軽々しい現実感のもと別の日常を求めて離人中。全てのオブジェが現実感を持たない。自分の肉体でさえも。空間を移動すれば現実感の無さに気づくと思う。みんな本当は気づいてないふりをしているだけで基本的に解離して生きている。日常のやり取りを人形劇のように捉えている。本当の居場所はここではないって知っている。ここではない、どこかへ。

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