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いまは家族とか友達を信頼していますよ
少し前には家に祖父母がいたし学校にはとんでもない人たちがいたのでこの世界に幻滅していました
そういう時期には何も信用できなくて頻繁に警察を家に呼んでいた
猫は警察官に懐いて踊っていたようですけれど、少し前は僕は入院するほど追い詰められていましたが、いまでは結構回復しています
頼れる人がいないのなら自分を信じたらいいですよ
あとは何かのコミュニティとか、何かのキャラクターたちとか

僕は映画の登場人物たちが別の自分の姿に思えています 高校生の頃から

よくなるコツはもしかしたら、「人と関わらない」とかだったりするかもしれません
僕は子供の頃から周りの子供達と遊びはするけれど話はしなかった
それで高校時代も周りの子供達と遊びはするけれど話はしなかった
それでいまでは遊ぶことも話すこともなくなったので人間関係とかの悩みがないです
人と関わらないから当然ですが、誰に嫌われても何も思わないし、そもそも人類には滅亡してほしいって昔から思ったりしているので、きっと人が一人もいなくなっても悲しくはないと思います
でもいまは人が多すぎるから気を使うけれども
遊ぶことはあっても話すことはないと思います
一生涯の孤立を生きている感じですね
でも祖父母が居なくなってからは家族の間はそこまで悪くないので(時々虐げられるけれども)、完全に孤立してるってわけではないですね
訪問看護の人たちと家族としか会ってないです
引きこもりっていうのかもしれない割には家にはあまりいないですね

医師は天使ですよきっと

早稲田メンタルクリニックの益田先生は体験を物語として構成し直すことでトラウマからの痛みは軽減するみたいなことを言っていたと思います
それも益田先生が言っていたことを自分なりに構成し直して言い直したことですけれど
僕も自分の過去にあったことを物語の一部にして補完することがたまにありますから、嫌なことがあったのは確かだけれど、それをキャラクターが語ることにすれば少し楽しみも生まれますし、でも憎しみがなくなることはないんですけれどね
現実に苦しんでいた高校生の頃、僕はネットで綺麗な景色の写真を集めたり、旅行に行って自然の中を歩いたりしました
それから静かなピアノの音楽とかもよく聴いていて、それは回復に関わっていたと思います
いまでも好きな音楽や好きな映画によく触れますが、そういう自分を構築するものたちのおかげで僕の心は満たされますね
祖父が新興宗教に夢中だったから自分は何も信仰しないし、祖母が人に悪いことばかりしていたから自分はしないし、悪い人たちがたくさん現れたから彼らと同じようにはならないようにしてるし、敵から学ぶというか、真似をしないようになるうちに落ち着いた心を持つようになりました
でもたまに今でも被害に遭うことはあるので、そういう時には震えながらnoteに文章を投稿したり、薬を飲んで眠ろうとしたり、アニメのキャラクターに喋ってもらいます
何かを学び始めるとか(いまだったらAIのこととかを学習アプリやYouTubeで勉強できる)、あとは群衆の中に紛れ込んで自分だけは一人っきりなんだって実感したりして孤立を楽しむこともできますし、診療所に行けばカウンセリングを受けられてなんか日常のことをべらべら喋れるし、昔あった先生とか子供達とかが懐かしければもう一度その時の状況を思い出して自分なりに出来事を改変して想像する遊びも楽しいし、人はそんなに人のことを嫌いにはならないと思いますよ
なぜなら忘れていくから
僕は少し前のことだってすぐに忘れちゃうから、ときどき夢で思い出してその時期の思い出を振り返ったりする
あと高校生の時にニュースブログで見つけたんですけれど、自分の左手に紫のバンドを巻いて、何か嫌なことがあるたびにその紫バンドをぺしって叩くことで自分の直したい癖とかに気づけて徐々に治せるようです
僕はバンドをつけたことはないけれどその記事を読んでから自分の癖とか何かあったら消せるなって思いました
よくマスクをつけて歩いていましたが、その癖はいまは対策となっていて治っても仕方がないですけど

たぶん僕の患ってきた離人症が痛みや苦しみから自分の中核を遠ざけているんだと思います
自分の動かしてる体は他人のものだし、電車の手すりに掛けている腕は電車から出た生体部品に感じるし、そういう自己の他者化が行われているので自分のことを他人のように捉えているし、この現実に自分は不在してますね
思考する時に思考しているのは自分ですけれど、その自分というのはこの現実に存在していない
あくまで意識が存在しているに過ぎず、たとえば自分の肉体をサイボーグ化したって、それは今までと大して変化はないように思えます
だって自分の体はもはや無機物に等しいから
たまたま生体機能が継続しているだけで、本当は僕の肉体はずっと前に他者の所有物になってしまった
だから毎月のおしりの注射の痛みとか、トマシンが噛んだ指とか、それらの痛みも非現実、想像上の痛みだという感じがします
痛みは僕に現実に戻すことが少なく、なんとなく痛さを感じるだけに過ぎないです
でも確かに痛いことには変わらない
注射をする時は意識をぼんやりさせるけれど、それで痛みが軽減するわけではない
ただ痛みに囚われないという効果ならあります
仕方がないことさ、みたいな
何が起きたところで、そんなのどうしようもない、仕方がないことなのさ、っていう感覚があります
真似してみてください

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