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円環を塗り潰す

あの人のことを怖がってはならないよ。あの人に君の話が通じると思ったとしても、実際にそんなことなど出来るはずもない。君が怖がるべきは、君の話を聞いたフリをして、悩める君に向かって頷いてみせる連中だ。奴らに君の辿り着いたそれらの観念について、その一片であろうと触れさせてはならない。

君があの子たちの見せびらかす膝小僧に夢中になるような男の子ではないことくらい、昔から知っている。階段の端を音を立てずに降りてゆき、滞る改札前の人々の流れには、遠くからでも察知できるように、電話の画面には何も打ち込まないでいること。その空間の隅から隅までをよく見渡して歩くことで、人々が暑さに草臥れて歩く様が、脚の引き抜かれた蟋蟀が道の脇を彷徨う様子によく似ていることに気づくはず。それを見つめる蟷螂の不気味な二つの目や、勤務し始めたばかりの駅員の男の子が、本当はそこからすぐにでも、バリ島の田園風景へと逃避したいことにも気づいてしまえる。けれどもそれらの発見について、慎重に考え続ける人には、君はまだ出会ったこともないものだから、まだしばらくの間は、一人で喫茶店の席に着くこと。

そのうち君の元へと現れる、同じ星に落とされた人間の目の奥をじっくりと見つめてみること。すると君の知りたかった世界が、その日からは、君の生きたいと願う世界へと、微睡む心の浮かぶ隙を与えないくらいには、そこから受け取る印象を大きく変えてしまう。この階段ではよく、おかしくなってしまった方々がうなされて倒れていることもあるから、地上に出るには向こうのエスカレーターに乗るといい。離れないで付いてくること。アイスはバニラかチョコレート味しか売っていない。まだこの時代に来たばかりで驚くかもしれないけれど。

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