見出し画像

20240702

20240702 _13 :15

昨日の日記を思い出せる限りでつけてみる。でもまずは夢の振り返りからだ。今朝は夢の中で行った殺人によって学校中の生徒たちが僕に注目した。そして擁護派と対立派とに分かれて一方は僕の復讐殺人に共感してサポートしてくれ、もう一方の暴行加害者を中心とした僕の敵たちは僕を襲撃するチャンスを見計らって身を潜めていた。僕は裁判に行く途中で大勢の人の目に晒された。親御さんたちもいる。僕が殺害したのは同じ登校班で僕をいつも虐げて喜ぶ人格破綻少女だった。僕に嫌がらせをしては一人で満足していた。その女の子を想像の中で何度も痛めつけた。実際に夢の中では殺害できたと言うわけだ。今朝の夢は眠りが浅く、眠ったのはほんの数時間ってところだ。僕は久しぶりに加害者男性に会って身をすくめる思いをした。夢の中でも現実の中にいても僕は現象を遠くから見守り傍観者でいることに努めている。実体験としてではなく、ヴァーチャルな体験として現実なり夢なりを過ごしている。直接触れることはなく、いつも遠くから観察している。子供の頃から変わらない。僕は観察者としての立ち位置、振る舞い、視点の中で生きている。これは心的外傷を負った後に起こる防衛規制の一種であり、解離性障害、および離人症の元となる存在の仕方だ。「実存の仕方」と呼べるのかもしれない。僕は本から知識を得て来なかったので難しいことは知らない。けれども多数の実体験として、離人症経験を積んでいる。いつか何かの役に立つことはあるのだろうか。患者同士で話し合うことで何がえられると言うのか。試してみようか。オープンダイアローグというものが北欧では盛んらしい。日本の精神科にも実践する研究者がいる。椅子を円形に並べて当事者たちが話し合う。色々と他にはない特徴があるらしく、患者は徐々に回復していく。隣人を交えた心の対話なのだそう。僕も試したいと思ってる。終わり。

20240702_13 :26

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?