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医療通訳士さんへの感謝

カナダでは、医療通訳は保険でまかなうことができます。
移民を受け入れるカナダ(ここトロントは)は、国際的な医療機関としての存在をとても大切にしているようです。大切な医師とのミーティングの時には、リクエストすれば病院が医療通訳を準備してくれます。医療の専門用語は生活の中では使わない、初めて出会う単語も多くとても複雑です。

先日、娘の状態を報告する8名でのミーティングがあり、コロナ禍では一堂に会することはできないので、電話での参加も含め、
医者、作業療法士(Occupational Therapist)、理学療法士( Pysiotherapist)、言語聴覚士(Speech-Language Pathologist)、ソーシャルワーカ、家族、通訳士で約一時間のミーティングを行いました。 
通訳を通しての会話は今回で2回目でした。
1回目の時は、とても違和感が残りました。私が言ったことを自分の解釈で止めて訳さない、医師が言ってないことを伝えてくる。通訳さんの主観はいらないのだけど・・と思って話していました。
2回目の方は、まず宣誓から始まったんですね。「公平な対場で通訳をすること誓う」ということを英語と日本語で言ってから始まりました。

リハビリに関してのことなので、娘の状態は毎日見ていましたし、何をしたというのは娘からも聞いていたので、セラピストやDr.からきく内容に新しい情報は特にはないのですが、細かいところでセラピスト達の配慮とかが聞こえてくるんです。これは、通訳さんの日本語のセンスだと思います。
私は、聞きたいこと、伝えたいことが伝わるように、できるだけ簡潔な文書を事前に箇条書きにまとめました。
ミーティングが終わった後に、セラピスト達が一様に今まで一番いい通訳だった!とべた褒めしていたらしく・・彼らは通訳の内容で泣かされたことも多かったのだろうと推察します。

医療にかかわらず、通訳は、人の気持ちに寄り添い、文化の違いを超えて相手の言いたい事を汲みながらも、公平な立場で客観的に事実を掴み、相手に伝わるように言語を変えていける・・のが私の感じた理想でしょうか。(こんなことできる人いんのーー??って感じよね 笑)
ただ英語、日本語が話せるだけではないのだなと、とその役割と重責をとても重く感じました。

人との会話で、客観的に事実を掴むということは、意識をしないと私はできない。
「事実はさておき、人は聞きたいように聞き、言いたいようにものを喋る。」

「何を伝えたかではなく、何が伝わったか」これを今まで一所懸命お勉強しました。その結果、私の中ではいつも二つのストーリーができます。
この人はこういうことが言いたかったのだろう、と、私はこう受け止めた(この考えに責任を持つこと)。。
でも、それは言葉だけではなくその人の話し方、表情、身振り手振りからも感じ取レルものなので、電話だけでというのはすごく難しいスキルだと思う。

こうした一つ一つの出会いに、良いも悪いもなく
この人との関わりの中で、「何か」が残る。という「何か」が一つ一つ感慨深いものだということ。

通訳士さん、こんなも素晴らしい仕事に尊敬と感謝の思いを込めつつ、
言語の壁があろうが、何かを相手の心に残せる自分でありたいと、深く深く突き刺さった日でした。




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