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間違ったプライドって外から見ると滑稽だ。うかつに同調してはいけない。

いたる所で小鳥がちゅんちゅん鳴いて、素敵な高原の朝かしらと思うような音が聞こえてくる。脳が騙されそうになった瞬間、トラックの音がかぶさってきて現実に引き戻された。
仕方ない。
ここは高原でも避暑地でもない。
おまけにあのトラックから下ろされるものが、Amazonやなんかからの私ん家宛の荷物だったら、それはそれでアガルから良しとしよう。

おまけに「仕事未満の仕事を始めたら、出来上がるまで止められなくなって、とことんアホを晒しているのだよ」ともう1人のデザイナーに愚痴ったら「話聞いちゃったらやっちゃうのはいつもの事ですよね。それで始めちゃったら止められないのもいつもの事ですよね」と言われて「私はバカなんだろうか?」と聞いたら「映画でも行きますか?」と言ってくれた。

そうだ、映画にいこう!もう、仕事未満はできちゃったし、メールで送りつけて映画に行こう!
おまけに三連休の最後の日だ。これから何回「三連休の最後の日」が来るのか数えてはいないけれど、昨日のその日は昨日だけ。

「落下の解剖学」というフランス映画。
雪に閉ざされた人里離れたコテージのような家で暮らす、作家の妻と作家になれない夫と、事故で視覚障害をおった11歳の男の子と、そのサポートをする愛犬。
タイトル通り夫がコテージの窓から落下して死んでしまったところから、お話が始まる。

裁判や事件の真相を追う大人達のあからさまな感情論や思い込みで進んでいく話の中にあって、唯一、11歳の男の子だけが、夫婦でも家族でもわざわざ明かされることのなかった出来事や思いが赤裸々に具体性を持って表面化していく中、心を砕かれながらも、感情でも思い込みでもなく、過去の出来事、父親との会話を分析して、自分の中にある真実を追求しようと考え行動する。

決定的な物的証拠のない中、自分の気づきをもとに、実験までして答えを導き出そうとする。

ダニエル少年だけが真実に近づこうとして、その場から逃げることをしない。
そんな事もわからないのかと思わせる「あなたが傷つくのを考慮したくない」なんて陳腐なセリフを吐く大人に対して「もうすでに傷ついている」と口にするほどの事なのに。

おまけに表面化していく事実らしきものは、どれも特別な出来事ではなく、日常の中に潜む、形を変えれば誰にでもありそうな事。

人は死んでいるけれど、サスペンスでも謎解きのスリルとかでもなく、日常に少しずつ広がっていったヒビ割れを、なぞるみたいなストーリーで余計に辛い。

他に解決方法があっただろと見ている方は思う。
でも、自分があの中に存在していたらどうなのかわからない。

売り言葉に買い言葉で放った一言、深く考えもせずにとった行動の全てに、後で他人から意味付けされていくと、あらぬ方向に物事が進んでいって、自分が真実だと思っていたことすら怪しくなる。

そうなるともういただけない。
誰もが目の前の出来事を自分の真実に置き換えようと必死になる。
それも、本人や家族ではなくて、赤の他人達が。

裁判が進む中、プロフェッショナルであるべき人間達の心の中にも、それだけじゃない感情が普通の人間と同じように巣食っている事がわかる。

嫉妬や間違ったプライド、異性や他人に対する思い込み。
映画だから極端に描かれているけれど、ああいう人たち見たことあるし、実際にいる。

テレビのコメンテーターが「真実はどうでもいいけど、女性作家の旦那さんが自殺したっていうより、殺されたっていう方が面白い」とかなんとか言うシーンがある。
お前、自分がその立場になってもそう言えるのか?と思いながら、恐ろしいけどそんな風に思う人間って少なからずいるんだろうなとも思える。

昔、嫌いな方の部長が「君は白黒つけたがるけれど、世の中は白と黒じゃなくて、ほとんどがグレーなんだよ。グレーにしておいた方がいい事の方が多いんだ」と偉そうに言った。そして「本当のことは人数分あるけれど、真実はひとつなんだ」と。
「ふーん、で?」と思ったものだ。

その言葉が発せられたのは、ある会議の時、新しく来た人間がある出来事に関して「そんな事もわからないんだったら、社長はバカですね」と嘲笑いながら発言したことから始まった。

その会議では各部署の責任者12人くらいがテーブルを囲んでいた。
私はその新しく来た人をなんとなく胡散臭く思っていたので(それまでの発言や行動、あーそれとお酒を飲むと急にだらしなくなって、ビックマウスに変貌するところ)ヘラヘラしながら社長をバカ呼ばわりしたことにむかついていた。

その会議が終わった後のランチの席で、みんな同じ気持ちなんだろうなと思って、そのことに触れたら「悪気があるわけじゃないよ」とか「そんなこと言ったっけ?」とかいう人間がいた。
「えっ、同じ会議で同じテーブルを囲んでいましたよね?私の幻聴ですか?」と思うほどすっとぼけた事を言い出した。

好きな方の部長は「〇〇君、もちろん私もそう聞いたよ、でもみんな丸く収めようとしてるんだと思うよ」と。
「立場」ってそんなにも弱いものなのかと思ったものだ。

今思い出しても、あの時、誰か死んでなくて良かった。
誰か死んだりしてたら、丸く収めるとか、聞いてないよとか通用しなくなるし、聞いた聞いてない、言った言わないじゃあどうにもならない。

そうなった時、人は誰を守るんだろう。そして、誰を悪者にするんだろう。

怖いことだ。
でも、特別な出来事じゃない。
日常の中に繰り広げられる、ちょっとした事の連続の中から生まれた、もとに戻らないひび割れ。

そうそう、ダニエルを助けるワンコに助演ワンコ賞をあげてください。
あの演技が人間の俳優のそれだったら、間違いなくもらえるはずだから。

「真実なんかどうでもいい」くらいの事を検察側が言うのなら、女性作家が安堵のため息をつきながらベッドに横たわった時、すぐにワンコがその横に滑り込んできて、優しく彼女に寄り添って寝ようとするラストシーンを見て、彼女は殺してないと私の中で白黒つけることにした。






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