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上澄眠さん第一歌集「苺の心臓」(青磁社)を読んで

 歌集との出会い、と同時に上澄眠さんという人間との出会いの詰まった歌集だった。

 上澄眠(うわずみ・みん)さんの記念すべき第一歌集「苺の心臓」が青磁社から2月15日に刊行された。塔短歌会の先輩で、塔の中でも僕が特に好きな歌人の一人だ。独特なひらがなの言語感覚と投げかけるような口語表現、五感の一つひとつの境界が薄くて、短歌初心者にも玄人の心にも違和感なく言葉がしみ込んでいくように思う。

 たぶんもう眠れそうだなうつぶせの背中にふれるせんぷうきのかぜ/上澄眠さん「塔11月号 作品1」より

 僕が上澄さんに心をつかまれたのは塔短歌会の昨年11月号に掲載されていたこの1首。やはりひらがなの選択が独特で、これもまた上澄さんの個性だと思うのだが、字余りなどの破調に対するストレスが少ない。何気ない情景や感覚の違和に対して繊細に言葉を与えていく。

 横浜に行ったらほんとに恋人になってしまうよねえ帰ろうよ/同「ときどきぬるい」
 雨の駅 ごめんね何を言ってるかぜんぜんわからないけどわらう/同「雨の駅」

 本書は大きくは全4章の編年体となっており、Ⅰは塔短歌会入会前、Ⅱは入会後の神奈川県での6年間、Ⅲは広島県で暮らした2年間、Ⅳは埼玉県で暮らした2年間の歌が並ぶ。上の2首は「横浜に~」がⅠ、「雨の駅~」がⅣに収められている。本書の全体に流れる時間は12年に及ぶが、上澄さんの世界と言葉のつながりはおおよそ一貫し、日常に詩を見つけ出す。

 冬銀河風呂につかればちりちりと ゆびのさきから せんこうはなび/同「ときどきぬるい」

 寒い冬の日にかじかんだ手のままに熱い湯舟に浸かる。その温度差に指先は繊細だ。ちりちりとした感覚がまるで指先から広がる線香花火を思わせる。皮膚感覚が視覚へと移って冬の小さな花火を生み出している。

 なれなれしいクラスメイトの女の子みたいな風が吹く春になる/同「クラスメイトの女の子」

 こういったドライな視点を入れながら、全体を丸く包み込む歌い方が上澄さんは本当にうまい。上の句はとても現代人的な発想ながら、それをネガティブなまま処理しない。なれなれしさの功罪と春風の功罪をつなぐ。すべてのものが多面的に存在していることを再確認する。「冬銀河~」に続いてもう一つ線香花火の歌を。

 夕立ちがくる前の風 おしまいの線香花火が終わったにおい/同「くつずれ」

 夕立ちが今から降るようだ。それを主体はにおいで感じている。そのにおいは線香花火の終わりのにおいに似ているという。夕焼けのせつなさと重なる。そして何より、ひとつひとつの「おしまい」を抱える線香花火の中にも最後の一本となる「おしまいの線香花火」があることに気付かせてくれる。

 住みはじめたばかりの町にわたくしの一挙手一投足が恥ずかしい/同「微微微微微炭酸」

 ここからⅢの広島へと移る。上澄さんの故郷である神奈川県を離れ、言葉も文化も違うであろう広島での暮らしが始まる。誰も見ていないとわかっていながら、自らの行動に間違いがないかをなぜかセルフチェックしてしまう感覚は共感できる。この押しボタン式信号は押さないで渡るのが暗黙の了解かもしれないし、この店では店主が作業中には話しかけてはいけないのかもしれない。そして、そうやってどぎまぎしている心の状態は誰にも見えないのに、やはり恥ずかしい。

 ちゃんと歩いてここまで来たってわかるから靴は汚れているほうがいい/同「やわらかいカーブ」

 靴が汚れてるという具体でもあり、人生や生き方に対しての比喩でもある。口語で詠う良さが全面に出ていて「ちゃんと」と「来たって」が歌のナイーブさを薄めて生き生きと輝かせている。

 ふなまどから見ても見なくてもいい景色 波をみている ずっとみている/同「宮島行き」

 宮島にフェリーで向かうまたは宮島から帰るシーンの短い4首の一連の一首。何をするでもなく窓の外の波を見ているだけの場面を詠った歌だが、「見ても見なくてもいい景色」と言われると、果たして僕らの世界に「見なくてはいけない景色」が本当にあるのかと考えてしまう。

 履き潰した靴ががぽがぽ満月を見ながらまっすぐには歩けない/同「ハッピーエンド」

 いよいよ最後の章。関東に戻ってきてからの歌である。まっすぐ歩けないのは履き潰した靴のせいかもしれないし、あるいは主体の視線を奪っている月のせいかもしれない。すれた靴もまんまるの月も決してまっすぐには歩かせてくれない。そう思うと、良いことも悪いことも、そこには差がなく、まっすぐに歩けないこともまた受け入れてしまおうと、どうしてか心が軽くなる感覚がある。

 品出しを重ねるうちに好ましくおもえてブルーのボールペン買う/同「ふつうのボールペン」
 そうだったホームはずっと岸だった 開かない方のドアにもたれて/同「岸と川」

 上澄さんは自分の思考や言動に対しても、目の前の光景に対しても一定の距離感を保って冷静に見る。そして、冷静に見た上で、一首のバランスの中でわざとらしく悲しくもしなければ、分かりやすく明るくもしない。作られた涙も、作られた笑顔も、作りものだと分かった瞬間に興ざめしてしまうが、上澄さんの歌にはそれがない。ひらがなも口語も破調も〝わざと〟を感じさせず、むしろ主体の視点に誘い込むような魅力がある。
 それはまるでまどろみの中で読者と作者が同じ夢を見ているようですらある。

(塔短歌会・短歌部カプカプ 近江瞬)

***書籍紹介*************************
歌集「苺の心臓」 上澄眠
発行:青磁社 2019年2月15日
定価:1500円
青磁社HP(http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/index.html)
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